編集者というのは、著者をはじめ、色々な人から「やりたいこと」を託される仕事である。
しかし、そのすべてに、「やれます、やりましょう」と応えるのは、現実的には難しい。
お金の問題、技術の問題、時間の問題、業界のルールの問題、会社の問題、もちろん、本人の能力や権力の問題もあって、「これこれこういう理由でやれません」と断ることも増えてくる。
それは仕方がない部分もあるけれど、最近、「やれない理由」を言っている自分が、少し怖い。
何だか、日に日に自分が、「やれない理由」を探すのがうまくなっている気がするから。
今の自分では、今の会社では、やれないことは確かにある。
けれど、いつも最初に「やれない」ところから考えをスタートしていると、本当は「やれる」ことでも「やれない」と思ってしまうクセがつく。
それは「会社人」の自分としても困るし、会社を離れた自分としても、やはり困る。
最近、僕には「やりたい」ことができた。
いや、それは本当は昔から「やりたい」ことだったのだけど、しばらくの間、その思いを自分で押し殺してきた。
自分で「やれない理由」を色々見つけてきては、「ほら、だから、やれないだろ」と言って、あきらめていた。
でも、結局それは、自分の本意ではなかった。
いつものことだけど、僕は自分の本心に気づくのが遅いんだ。
「やれない理由」なんて、探そうと思えば、いくらでも見つかる。
その一方で「やれる理由」や「やるためにすべきこと」も、一生懸命探せば意外と見つかったりもする。
本当にやりたいことならば、時間がかかっても、やれる可能性、やれる手段、を探したほうがいい。
「やれない」と思って「やらない」のはラクだけど、「やりたい」ことであればあるほど、いつかきっと後悔するから。
後悔したときにはもう、本当にやれなくなっている場合も多いから。
新年になって、何か新年らしいことを書こうと思って、いろいろ悩んで、そうするうちにどんどん忙しくなって、今日やっと、このことを書こうと思った。
今年は僕にとって、本当に「やりたい」ことを、どうにかして「やる」ために、土台を固める一年にしたい。