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ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

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「自分」というのは、探すもの? 決めるもの? 作るもの?_c0016141_1973983.jpgう~ん、困ったなぁ。

先日、ソフトバンクパブリッシングの編集者さんから献本された2冊のうちの、残りの1冊、

自分探しが止まらない

が、先に小飼弾さんに書評されてしまった。

探すな決めろ - 書評 - 自分探しが止まらない
(404 Blog Not Found)

僕が言いたかったこと、あるいはそれ以上のことが、すでに書かれていて、正直、やりづらい。

ただ、若干付け足せる要素があると思うので、恥を忍んで、後追い書評(というか感想)を書いておく。


この本を読んで、まず思ったのは、「よく調べたなぁ」ということ。

何せ、「自分探し」をキーワードに、あらゆる人物、作品、現象などが語られる。

中田英寿、須藤元気 、『あいのり』、イラクで殺された香田さん、高遠菜穂子、高橋歩とサンクチュアリ出版、自己啓発セミナー、フリーター問題、猿岩石、『絶対内定』、軌保博光(注:てんつくマン、のほうが通じるか?)、ホワイトバンド、共同出版ビジネス、自己啓発系居酒屋「てっぺん」、『ザ・ビーチ』、梅田望夫……

各対象の論じ方の深い浅いはあるものの、この1冊で、いまの「自分探し」ブームの大部分をカバーできるのは間違いない。

なかでも、一部の自己啓発書、あるいはその著者について書かれた部分は、そういった本を実際に作っている編集者の僕でさえ知らない暗部(とあえて書いておく)に迫っており、色々考えさせられた。


さて、次に僕が思ったのは、「じゃあ、どうすればいいのよ?」ということである。

著者も書いているように、この本は、

自分探しの若者をテーマにしながらも、彼らをそこから救うような手立てについて何ひとつ提示できていない

いや、この点を責めようとは別に思ってないのだ。
だからこそ、著者も編集も、『自分探しが止まらない』というタイトルにしたんだろうし。

けれど、読んでいるほうとしては、やはり気になる。

もしも「自分探しを止めたい」という人がいたら、どうすればいいのだろう?


一つの答えは、先にリンクした記事で小飼さんが言っている、

あえて自分を決めてしまう

ということなのだろう(詳しくはリンク先を参照のこと)


そして、もう一つの答えになりそうなものは、たまたま最近読んだ本に書かれていた。
(皮肉なことに、この本も一種の「自己啓発書」だが)

*以下、『汗をかかずにトップを奪え!』74ページより引用
そう、自分探しを強調する連中ほど、ほんとうは「自分」を見つけたくないのだ。
ほんとうの自分、ちっぽけな自分、無力で情けない自分を認めるのがイヤだから、いつまでも「探し」続けている。それだけなのである。
仕事は探せ。そして職についてからも、探し続けろ。(中略)
しかし、自分は探すな。必要なのは「自分探し」ではなく、一段ずつ自分を積み上げていく「自分づくり」なのである。
これはちょうど、「探す」と「決める」の間のポジションとでも言えばいいのだろうか。


と、ここまで書いて思ったのだけど、「自分」と付き合う一つのパターンとして、

「探す→作る→決める」


という一連の流れがあるかもしれない。

僕自身に当てはめれば、まず編集者という職を「探し」、さらにビジネス書という比較的自分の力を発揮できそうなジャンルに出合い、いまはそこでキャリアを「作って」いる状態だ。

ただし、その次のステップ、「決める」に進む自信であったり、思い切りがないのが、悩みではあるのだが。


以上、ダラダラ書いてきたわりに、あまり有益なことを書けていない気もするが、本書は、久しぶりにじっくり物事を考えるきっかけをくれた一冊であった。


*当ブログへの献本は、以下のルールに則っていただける限り、歓迎いたします。
当ブログへの「献本ルール」を、ここらでハッキリ決めようと思います。
by aru-henshusha | 2008-02-16 20:08 | 本・出版
最近、知人や仕事仲間の活躍を目にする機会が増えた。

それは、僕が「いい年」になったこともきっと関係してるのだろう。
同世代、あるいは少し上の先輩たちが、大きな仕事を任される、あるいはできる立場になり、
それぞれ、すばらしい結果を出している。

彼らを「成功した」というのは、言葉にちょっと抵抗があるけれど、
ここでは便宜上、成功した人たちと呼ぶ。

彼ら、成功した人たちには、共通点がある。
それは、みな、人並み以上に頑張る人だということだ。



こう書くと、「頑張ったからといって、世の中、成功する人ばかりではない」
と思う人もいるかもしれない。

たしかに、人間、頑張ったからといって必ず成功するわけではない。

ときには、頑張る方向が間違っている場合もあるだろう。
でも、それ以前に、ある人にとって、どんなに頑張ったところで
成功しない時期や分野、環境があると思う。


しかし、だからといって、頑張ることは無駄なのだろうか?

頑張っても、成功するとは限らない。でも、成功しないとも限らない。
だったら僕は、頑張ったほうがいいと思う。

本当に成功したいなら、夢をかなえたいなら、とりあえず自分を信じて、今やれることを頑張るべきだと思う。


もちろん、そうして頑張ったところで、成功できない人はきっと出る。

いや、僕自身、この業界で、自分が思うような仕事をできないまま年をとったり、
適性のなさに気づいて、他の道を探すような日が来るかもしれないから、本当は人事ではない。

でも、僕は頑張ることを選ぶ。今、目の前にある仕事に全力投球することを選ぶ。

他の人はどうか知らないけれど、僕はそういう生き方のほうが、きっと後悔しないから。


僕は自分の努力だとか、(あるとしたなら)才能だとかを、「貯金」したまま死ぬのは嫌なんだ。
僕はその口座を解約して、僕の可能性という「単勝馬券」を、毎日毎日、買い続けたい。


一生万馬券は出ないかもしないし、トータルで勝ちか負けかもわからないけれど、
そうやって、日々、ドキドキ生きているほうが、僕は楽しい。

少なくとも、あとで、あのとき、どうして自分に賭けなかったんだって、
そういう後悔をしない人生のほうが、僕は好きだ。


仕事仲間であれ、あるいは著者であれ、僕の知る成功者は、
毎日、自分の可能性という馬券を握り締めて、頑張ってきた。

彼らがレースに勝てたのは、運の力も大きいかもしれないけれど、
同時に、やはりその頑張りが必要だったはずだ。


頑張ることは信じること。信じて初めて、勝ちは転がり込んでくる。
by aru-henshusha | 2008-02-12 01:12 | 不定期なヒトリゴト。
これは、たしかに効果的。ただし、労働条件がしっかりした会社でやると逆効果かも。

編プロの入社試験に合格する方法(「編集プロダクション アプレ」のブログ)
ところで去年の秋頃、スタッフの友人が「編プロでの就職活動に苦戦している」というので相談に乗ってあげました。
その際、3つのアドバイスを送ったのですが、その甲斐あって東京の某編プロから内定をもらえたそうです。
ネットを通じて声をかけると「あのアドバイスがあったからです」と言ってくれました。

さてさてアドバイスの内容ですが「面接時、以下の内容を質問するように」というシンプルなものです。

①残業代とかいらないので残業してもいいでしょうか?
②早く仕事を覚えたいので休日出勤しても大丈夫でしょうか?
③給料とか別に要らないんですけど、受け取らないといけないのでしょうか?


冗談じゃなくマジです。
採る立場の心理は
(面接の時だけ調子のイイこと言って後で「残業代は?」「昇給まだ?」「休日出勤!?絶対イヤですよ」とか言うんじゃないか?)
というのを恐れているんですよ。

だからその不安をコチラから解消してあげると心証が格段に良くなります。
就職本で「労働条件は堂々と聞いていい」と書いてありますが、あんなモン真に受けちゃダメです。
業界外の人から見れば、これらの質問には「そんなムチャな……」と言いたくなるかもしれません。

しかし、僕自身、もともと編プロ(編集プロダクション=出版社の下請)あがりの人間なので、上の3つの質問は、あながち冗談とは言えないと思います。

実際、僕がいた会社も、「残業代なし、1日平均14時間拘束、休日?何それ?」といった環境でしたし……


ただ、前にも書いたかもしれませんが、「編集者になる」ことを本気で目指すのであれば、版元だろうが編プロだろうが、この業界に潜り込むことが第一だと思います。

僕のように、編プロで経験を積んで、その後、出版社に転職するという例も意外とありますしね。


もっとも、③の質問を額面どおりに受け取られて、本当に給料が払われなかったら、さすがにキツイですが……
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by aru-henshusha | 2008-01-26 16:02 | 本・出版
正直、どんな編集者にも、自分なりの「ベストセラー論」「売れる本の作り方」があると思うので、異論反論あるでしょうが。

ただ、十か条の中には、今でも通用する部分もありそうです。

光文社社長を勤めた方がいう「ベストセラー作法 十ヵ条」
(FAXDM、FAX送信の日本著者販促センター)

 1、読者層の核心を二十歳前後に置く。
 2、読者の心理や感情のどういう面を刺激するか。
 3、テーマが時宜(じぎ)を得ているということ。
 4、作品とテーマが、はっきりしていること。
 5、作品が新鮮であること。テーマはもちろん、文体、造本にいたるまで、「この世でははじめてお目にかかった」という新鮮な驚きや感動を読書に与えるものでなくてはならない。
 6、文章が、“読者の言葉”であること。
 7、芸術よりもモラルが大切であること。
 8、読者は正義を好むということ。
 9、著者は、読者より一段高い人間ではないこと。
10、ベストセラーの出版に当たっては、編集者はあくまでプロデューサー(企画製作者)の立場に立たなければいけない。“先生”の原稿を押し頂いてくるだけではダメである。


あと、ちょっとだけ補足をすると、神吉さんという人は「10」にあるように、編集者はプロデューサーだという「創作出版」というスタイルでベストセラーを連発した人です。
(参考:光文社

「6」「7」あたりは、その姿勢と関連すると思います。


ただ、この作法どおり、読者層の核心を20歳前後に置き、その層の言葉で書くとなると、ずいぶん若い人向きのベストセラーになりそうですね……
(いや、それだけ読者の裾野を広くしろということなのかな?)

あと、「5」みたいな本は、売れようが売れまいが、編集者なら一度は作りたい本かも。
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by aru-henshusha | 2008-01-21 01:58 | 本・出版
昨日、かねてから告知していた、当ブログの「訪問者200万人突破記念オフ会」を実施した。

参加していただいたのは、同業者の方々、ライター、翻訳者、
経営コンサルタント、弁護士秘書、メーカーの方などなど。
仕事の内容も年齢にも幅がある12人で酒を飲み、楽しい一夜になった。


ところで、オフ会の中で、ある方からこんな質問を受けた。

ある編集者さんは、なぜオフ会をやろうと思ったんですか?

言われてみて、少々困った。

正直、「ブログの節目に何かをやってみたい」という単純な思いが発端なのだけど、
同時に、それだけではないような気がして、オフ会が終わったあとも、一人帰り道で考えていた。

今から書くのは、そこで考えて出した、一応の結論である。


学生時代、出版社を中心に就職活動をしていたころ、
訪問した会社の説明会で、こんなことを言われたことがある。

「編集者の名刺さえあれば、あなたたちは、たいていの『会いたい人』に会えるんです」

むろん、就職した会社の得意とするジャンルにもよるけれど、
この言葉はおおむね間違っていないと思う。

少なくとも、「本を出しませんか?」の一言で、
(結果、断れることはあっても)たいていの人に面会を申し込む理由にはなる。

その意味で、僕ら編集者は「普通なら会えなかった人」に会い、それを仕事をしている。


けれど、思うのだ。

「普通なら会えなかった人」というのは、べつに、本を出すような作家や学者、
芸能人や経営者だけじゃないよなと。


昨日、僕がオフ会でお会いした方々も、「普通なら会えなかった人」ばかりである。

同業者であっても、編集する本のジャンルが違えば、なかなか会う機会がない。
他の職種であれば、なおさらだ。

今回、オフ会を開かなければ、一生、交わることがなかった方たちかもしれない。


「普通なら会えなかった人」が多く集まる機会で一般的なのは、趣味のスクールなどだろう。

仮に僕がテニスをやっていたり、陶芸をやっていたりしたなら(どちらも柄じゃないが)
休みの日に、得がたい人との出会いがあったかもしれない。

でも、「趣味は読書。(orブログ。)」の僕としては、一番身近なのがオフ会である。
開催の手間は少々かかるけど、この機会は大事に生かしたい。


僕自身が「普通なら会えなかった人」に会えるのも嬉しいけど、もう一つ嬉しいのは、
「普通なら会えなかった人」同士が楽しんでいる姿のを見ることだ。


普段一堂に会さないだろう、経営コンサルタントと弁護士秘書とコピーライターが、
うちのブログのバカ記事を肴に、しょうもない話で盛り上がっている。

大げさな言い方かもしれないけど、そういう「場」を提供できることも、
僕がオフ会をやるときの、大きなやりがいである。

だから、ブログを続けている限り、オフ会も続けていくし、
オフ会を開くことが、ブログを続ける一つの原動力にもなるだろう。


毎日は相変わらず忙しいし、ままならぬことも多いけれど、
「普通なら会えなかった人に会える」仕事に就き、
「普通なら会えなかった人に会える」ようなブログを運営している僕は、
それなりに楽しく生きています。
by aru-henshusha | 2008-01-13 22:23 | ネット・コンピュータ
【HR】 方法論などない(MORI LOG ACADEMY)
 ビジネスや人生のハウツーものが、書店に並んでいる。多くの人が方法論を求めているのだろう。僕も、これまでにこの種の本の執筆を何度か依頼されたことがあるけれど、どうも今ひとつ書く気がしない。こうすればうまくいく、なんてこと、僕にはわからない。誰にでも適用できる確実な方法なんて存在しない。なにごともケースバイケースである。
<中略>
 まず知らないうちに成功していた人がいて、その人が、自分は何故成功したのか、と過去を振り返る。そうして生まれてくるものが方法論であり、その信憑性はといえば、その人が成功したというたった一例の立証である。それを信じて、同じ方法によって成功する人も現れるだろうし、その方法では成功しない人も沢山出るだろう。両者の割合は、全体の平均とどれほど違うものか。多少の違いがあったとしても、他者の方法論を参考にしようという積極性がある人は成功する確率が高い、というだけのことではないのか。
 僕が言いたいのは、方法論のほとんどは、「過去を振り返って気づいたこと」だという点である。基本的に、将来に目を向けた指針としては、根本的なスタンスが不適切だし、データ不足を感じる。
引用した文に対して、僕も大筋では賛成である。
しかし、「ビジネスや人生のハウツー」本を今までしこしこ作ってきた僕としては、少し書き加えたいことがある。


なるほど、たしかに「それを読めば、そのマネをしさえすれば、万人が成功する」方法論なんてものはない。

また、ふだんその手の本を作ってて思うのだけど、ある方法論があったとして、それと真逆のことを説く方法論だってある(しかも、両者は、それそれの方法論を駆使して、成功してるのだ)。

だから、方法論なんて人それぞれだし、「自分に合った方法論」と出合わない限り、成功はおぼつかない。


だからといって、「方法論」はなくてもいいのだろうか?

たとえば、「時間の使い方」がうまくなりたいと思った人がいるとする。
その人は、誰の方法論にも学ばず、自分の頭ですべて考え、「時間の使い方」を工夫するのがベストなのか?

僕はそんなときこそ、本で、いや本でなくともネットで、セミナーで、あるいは他の人に聞くのでも何でもいい、「方法論」を知り、それを試すべきだと思う。


もちろん、「ハズレ」にあたるときもある。最初は「ハズレ」ばかりかもしれない。

けれど、「ハズレの方法論」にだって意味はある。
自分にはこの方法論は合わない――それがわかっただけでも、一歩前進だと僕は思う。

それがわかったなら、逆の方法論を試してもいいし、なぜそれが合わなかったかを突き詰め、独自の方法論を生み出してもいい。

自分ひとりの頭で勝負するよりも、そのほうが成功への時間は、チョッピリでも短縮できるのではなかろうか?


いずれにせよ、「誰かの方法論」は「自分独自の方法論」を生むキッカケになる、そう信じて僕は本を作っている。

それもまた、僕独自の方法論といわれれば、それまでだけど。
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by aru-henshusha | 2008-01-06 22:02 | 本・出版
編集者のために書く本が、いい本になる。
(ダイヤモンド社編集長・土江英明さん)
(中谷彰宏レター)

僕は、本を、読んでくれる人のために、書いています。
編集者は、ある意味、一番最初に読むことになる人です。
そういう意味では、編集者のために書いているという要素も、大きい。

『なぜあの人は人前で話すのがうまいのか』(ダイヤモンド社)は、
土江英明編集長のために書いた本です。
「こういうのを、読んで勉強してね」ではなくて、
「中谷さん、私のために、こういう本を書いてください」
と言えるところが、土江さんの類まれなる才能です。
土江さんは、どんどん偉くなって、人前で話す機会が増えているのに、
人前で話すのが苦手だと、自分で思っています。
「こういうのを作ると、売れるから」
「世の中の人が、こんなことができない人が多いから」

という動機で作られる本より、
土江さんのように、「すいません。私が読むために」
という本の作り方が、好きです。


僕自身、「自分が読みたい本」を作る、という本の作り方のほうが好きです。
これは、「面白い」だけの本も、「売れる」だけの本も、僕は作りたくはない。という記事に書いたことにも通じます。

自分が面白いと思えるから、あるいは自分にとって必要だから……
そこから出発したほうが、僕にとっては「作りたい本のイメージ」がハッキリして、いい結果になることが多いです。


ただし、本作りにおいて、それだけが「正解」だという気は、もちろんありません。
自分ではない誰か、のために本を作って、それで売れることもあります。

また、「誰か」のために本を作ることができなければ、作る本のジャンルがかなり狭まってしまう
こともありえます。

仮に、「投資」分野に強い関心を抱いている編集者がいたとしても、会社としては毎回そのジャンルの本ばかり作らせるわけにはいかない、なんてケースもあるでしょう。


編集者を長く続けるには、どちらの作り方でも、うまく本を作れるに越したことはないと思います。
*「誰かが読みたい本」ばかり作るのも、シンドイでしょうし……

同時に、「自分が読みたい本」を作り続けたいなら、「自分が読みたいこと」の範囲をジワジワ広げていくことも必要なんでしょうね。
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by aru-henshusha | 2008-01-01 04:49 | 本・出版
久しぶりの更新ラッシュ、最後は最近読んだ本のなかで、印象に残った言葉をご紹介。
(以下は、聴き手との対談中、「感動」について語った手塚治虫の言葉)

本物の感動を味わうには、「長い時間」が必要だ。_c0016141_2246186.jpg感動とか言うことは、センチメンタリズムなのよね。真の感動は読んだ後刺激されて自分なりの行動を始める時に初めていえるんじゃないか。刹那的に心を動かされて涙こぼすのだったら、『E.T.』だって涙こぼすしね、お袋ものだって、『ロッキー』だって涙はこぼしますよ。<中略>
感動するってことは、本人の性格にもよるし、雰囲気にもよるし、状況にもよるし、文体とか、いろんな要素が入っちまってると思う。一種条件反射のような所もあるし。だけどほんものの感動っていうのは、それがその後ずっと強迫観念のように心に残っていてね、それがふとした時に、それに刺激された行動に走った時そうだといえる長い時間が必要なんですね。

(『漫画の奥義 作り手からの漫画論』 272ページより)

見出しではあえて「本物の感動」という言葉を使いましたが、
僕自身は映画や本などで得られる「その場限りの感動」がニセモノだと言う気はありません。

モノをつくる人間としては、そういった「短期的感動」を呼び起こすのにも、
それなりの苦労がいるということはわかっているつもりですし。


ただ、同時に、モノづくりに携わる身としては、手塚治虫がいった「長期的感動」につながるようなモノを、一つでも二つでも、世に出せたらと思います。

たとえビジネス書という範疇でも、年間数冊は、そういった本が出ているでしょうしね……
by aru-henshusha | 2007-12-25 23:02 | 名言・言葉
足るを知る者(中日新聞)
 <求めない-/すると/いまじゅうぶんに持っていると気づく>

 <求めない-/すると/いま持っているものが/いきいきとしてくる>

 <求めない-/すると/それでも案外/生きてゆけると知る>

 書店に立ち寄ったら、平積みされた小さな本が目に留まった。どのページにも、こんな短い句が一つずつ。どれもが「求めない」で始まっている。シンプルで、何でもないような言葉ばかりだが、引き込まれてしまった。

 タイトルも、ずばり『求めない』(小学館)。作者は、詩人の加島(かじま)祥造(しょうぞう)さんだ。

 人間とは、求めてやまない存在である。求める心が大きなエネルギーにもなる。しかし、現代の私たちはあまりにも求めすぎているのではないか。欲望過多の時代と言っていいかもしれない。

 豊かさを際限なく求めた結果、あふれかえったモノとゴミに私たちは窒息しかかっている。成長と進歩への飽くなき欲望は、自然を破壊し、地球を危機に陥れている。

 快適と便利の果てしない追求に、人は逆に振り回されている。度を越した所有欲が引き起こす事件は、絶えることがない。私たちが抱える不安も、さまざまな「過ぎた欲望」と無縁ではあるまい。
(中略)
 今の自分に満足し、受け入れる。それが本当に豊かな人間である。この二千年余り前の言葉を、時代に即して丁寧に翻訳してくれたのだろう。
僕も、出版業界の片隅にいる人間だから、この『求めない』という本が売れに売れていることは知っていた。
うちの会社でも持っている人がいたから、貸してもらってパラパラ読んだりもした。

書かれていることについては、素直に、「なるほどね」と思う。
学生時代に『老子』も読んだし、「足るを知る」ことの大切さだって、少しはわかっているつもりだ。

けれど、明日から早速「求めない」精神で生きてくれといわれたら、僕は困る。
僕には、まだまだ「求めたい」ものがある。


べつに、物質的に満足していないわけではない。

一人暮らしの家は狭いし、冬のコートはもう一着ぐらいあってもいいし、
使っているパソコンの調子は悪いけど、我慢できないレベルではない。


でも、僕は自分自身には満足していない。

一番わかりやすい例は、仕事だろう。

僕は、今の自分が出している以上の「成果」を求めている。
そして「成果」を出せば、それに応じた「待遇」も、きっと求めるだろう。

求めた成果が出なければ僕は落ち込むだろうし、さらに強くそれを求めて汗水たらすはずだ。


はたから見れば、いや、本人だって、そういう生き方はけっこう疲れる。

今現在、会社に迷惑をかけるような仕事ぶりではないし、適当なところで、
自分にも周りにも「求めない」ようになれば、もっと楽ができるに違いない。


だけど、そういう「求めない」生き方は、もう少し後でもできる。

何しろ、「求めない」だもの。
そう思った瞬間から、もう完了。歩み(というより走りか)は、一気にとまる。


僕は自分が編集者として、あるいはモノを作る人間として、
自分がどれだけ向いてるとか、才能があるとかないとか、わからない。

昔はもっと自惚れていたけど、今は本当にわからない。

このまま、求めて、求めて、自分が求めたものとは全然遠い存在だったと気づいて、
いつか愕然とするような気がしないでもない。


でも、そうなったら、そうなったでいい。
そのとき、初めて「求めない」ようにすればいい。


今の僕は、まだまだ、もう少し求めたい。
求める先に何があるのか、見届けたい。

求めるのは欲望であると同時に、好奇心でもある。
by aru-henshusha | 2007-12-17 01:24 | 不定期なヒトリゴト。
これ、もしかしたら、知人の編集者が担当なのかなぁ……
オトナの対応としてはスルーが一番なんだろうけど、やっぱり言っておかないとキモチワルイので。

パクるのが問題なんじゃない、その「さじ加減」が問題なんだ。_c0016141_235232.jpgパクるのが問題なんじゃない、その「さじ加減」が問題なんだ。_c0016141_2352304.jpg
左(パクられたほう):御社のホームページをヤフー!・グーグルで上位表示させる技術
右(パクったほう):結局、営業に頼ってしまう御社が伸びない本当の理由

そりゃ、矢印の数は増えてるし、太さも違うし、タイトルの置き方も違うけどさ……

でも、同業者が見て、一瞬で「ネタ元」に気づくレベルのパクり方はどうかと思うわけ。
(それも、両方とも他社の本なのによ)

しかも、今回はタイトル中の「御社」という言葉までカブってる。
(まあ、これはもともと『御社の営業がダメな理由』を意識してるんだろうけど)


タイトルにしろカバーにしろ、先行書や類書を参考にしたりすることは(僕だって)少なくない。
けれど、どこまでパクるか、マネするか、意識するかの問題だと思うのだ。

その線引きは難しいけど、あえて一つの基準をあげるとするなら、こうなる。
つまり、もしも「ネタ元」の編集者やらデザイナーと会うことがあったとして、その人に自分が作った本を恥ずかしくなく出せるかどうかだ。

僕が右の本の編集者だとしたら、左の本の担当者やデザイナーの前で、自分が作った本を出すのは恥ずかしい。

いや、そう感じない人が作ったから、右のような本ができてしまったとは思うのだけど。
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by aru-henshusha | 2007-12-17 00:20 | 本・出版