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ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha

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『36倍売れた! 仕組み思考術』は、「今年一番もったいない一冊」である。_c0016141_23551862.jpg本書は知人の編集者を通じて、担当編集の方からいただいた一冊。
(なお、毎回、Kさんの手を煩わせるのもあれなんで、次回からは直渡しでも結構です。その場合はこちら経由でメールをいただければと思います)

それはともかく、

36倍売れた! 仕組み思考術

は、僕が今年読んだ中で「一番もったいない一冊」である。
その理由は後で詳しく書くから、その前に、少しだけ本書のウリを紹介したい。


この本に書かれているのは、一言でいえば「電話×DM」の営業術だ。

ミソは、この「電話×DM」というところで、商品を「電話だけで、あるいは電話をきっかけに売る(いわゆるテレアポ)」のではなく、「DMの力だけで売る(いわゆるセールスレター)」のとも違う。

まずは電話で見込み客を探しその後にDMを送る
、という一見「二度手間」にも思えるノウハウだけど、ページをめくるにつれ、その二段階方式がいかに理にかなっているかが明らかになる。


僕は以前、営業や販売促進の本づくりの参考に、「テレアポ」関係、「セールスレター」関係の本をわりと読んだ時期があった。

しかし、それらの本はテレアポならテレアポ、セールスレターならセールスレターだけのノウハウが書かれていて、両者を「かけ算する」という発想がなかった。

そのぶん、両方の手法のいいとこどりをしている本書は、非常に実践的な一冊である。
売り込む商品によってはこのノウハウが適用しにくい場合もあるだろうけれど、それを差し引いても十分読む価値があると思う。


さて、本題に戻る。

なぜこの本が「今年一番もったいない一冊」なのか?
それは、タイトルが悪いからである。

そもそも、いまのタイミングで、『仕組み思考術』というタイトルをつけるのは、『「仕組み」仕事術』の影響を受けたのだろう(注 後者の本は半年近く前に出たビジネス書のベストセラー)

べつに、ヒット作のタイトルを拝借するのが絶対に悪いとまでは言わない。
けれど、この本の場合、それがかえって裏目に出ている。


『仕組み思考術』は前述したように、「営業術」の本である。
だからこそ、メインタイトルに「営業を連想させる言葉」を盛り込むべきであった。

たとえば、「仕組み営業術」でも「仕組みセールス術」でも「36倍売れるしくみ」でもいい。
この本は営業にかんする本ですよ、というのをもっとアピールすべきだったのだ。


実際、このタイトルのせいで本書はしばしば「間違った売り場」に置かれている。
一例をあげれば、新宿の某大書店で、この本は『頭がよくなる思考術』などと一緒に「考え方」の棚に置かれていた。

それは、著者や編集者が考えていた、この本の置かれ方とは異なるだろう。
しかし、そういう状態をつくったのは、間違いなくこの本の作り手(とくに編集者だと察する)なのだ。

カバーにあれだけデカデカと「思考術」と書かれていれば、忙しい書店員さんは、条件反射でこの本を「考え方」のコーナーに置くに決まっている。
そういうケースが多ければ多いほど、この本はみすみす販売機会を逃している。


本のタイトルには、人目を引くという役割も当然ある。

しかし、ビジネス書に限って言うなら、やはり「その本の中身がすぐにわかる」というのも重要な役目である。

『仕組み思考術』というタイトルは、自ら本の中身をわかりにくく、あるいは誤って伝えている。

これがよりストレートなタイトルであれば、36倍とまでは言わないけれど、3倍~4倍、売れ行きは変わったのではないだろうか?


*当ブログへの献本は、以下のルールに則っていただける限り、歓迎いたします。
当ブログへの「献本ルール」を、ここらでハッキリ決めようと思います。
by aru-henshusha | 2008-09-01 00:50 | 本・出版
『実録!! コンビニバイト日誌』は、オモシロお客の玉手箱や~_c0016141_23152690.jpg担当編集の方から頂いたこの本。

実録!! コンビニバイト日誌

大学時代にコンビニバイトをやっていた僕としては、当時を思い出しながら楽しく読めました。

なかでも、一番なつかしかったのは、「面白いお客さん」たちのエピソード。

コンビニというのは、常連さんも含めて毎日いろんな人が来店するので、「オモシロお客の玉手箱(いまさら彦麻呂風)状態なのです。


●コンビニに来るオモシロお客の一例*すべて本書から引用
・店のお酒を購入前に呑んでしまったおじさん(多少アル中ぎみ)
・店でカップめんにお湯を入れたはいいが、粉末スープを入れ忘れて出て行ったお客さん
・毎朝「イカの塩辛」を買いに来る子供
・「トイレ借ります」ではなく「オシッコ借ります」と言うおじさん(それって借りれないんじゃ…)
・「あんぱん下さい」と言うつもりが、「あんぱんまん下さい」と言ってしまったおばさん
・メントスを1個だけとっていた万引き犯(し、試食?)
・母親らしき人と来てエロ本を買うおじさん(しかも母親はなぜか笑顔)


こんなオモシロお客さんの生態がタップリ読めて、800円でお釣りがくるという定価も、まさに「コンビニエンス」な一冊。

マンガを文章で紹介されたって伝わんないよ~という方は、まずは下のリンクから立ち読みしていただけるといいかと。

コミックエッセイ劇場|立ち読み|『実録!! コンビニバイト日誌』
by aru-henshusha | 2008-08-31 23:41 | マンガ・アニメ
「普通の球児」である前に、彼らは「普通の高校生」だ。_c0016141_2311377.jpgまず献本いただいた著者にお詫びもかねて。

本来、夏の甲子園が終わる前に紹介予定だったこの一冊。感想が遅れに遅れて申し訳ない。

だけど、この本ならばいつ読まれても、その価値が損なわれることはないと断言できる。

ひゃくはち

は、他のどの作品にも似ていない、すばらしい野球小説だ。


この小説には、三つの裏切りがある。


一つめは、主人公が補欠であること。

経験者とはいえ一般入試で神奈川の強豪校の野球部に入った主人公は、最初は練習にもついていけず、試合ではエラーもするし、サインも間違える。
センバツ甲子園前のメンバー発表では、他のエリート部員と違って当落線上にいる。

平凡な主人公がさまざまな苦難を乗り越え驚異的な成長を遂げる、という「奇跡」はこの本では起こらない。


二つめは、野球部員が「普通」の高校生であること。

タバコは吸うし酒も飲む。たまの休日には合コンもする。セックスもする。

高校球児がそんなことを、と眉をひそめる人もいるかもしれない。
でも、どれか一つぐらいは、僕らはみな高校生のときに体験したことではないか。

押し付けられた「普通」ではなく、等身大の「普通」の高校生活が、この本の中にはある。


三つめは、彼らの夏が、予想もつかない形で終わること。

ネタバレになるので、詳細はここには書かない。

けれど、主人公にも、他の部員にも、そして僕ら読者にとっても思いもよらない形で、彼らの夏は終わる。
その終わりがもたらす「痛み」は、コールド負けの比ではない。


もしも、「普通の球児」の小説を期待した読者には、これらの裏切りはたえがたいものかもしれない。

この本で描かれる球児たちは、まさに『ひゃくはち』にも余るような煩悩を胸に、野球と野球以外の高校生活を送っている。
そこには、口当たりのいい爽やかさも感動もない。

だけど、だからこそ、本書は「普通の高校生」の姿を生き生きと描いた、青春小説の傑作だと僕は思う。


甲子園のグラウンドでは大人びて見える彼らだって、高校球児である前に、普通の高校生だ。
僕らがときにはハメを外し、ときにはかっこ悪く過ごしてきた高校時代を、彼らもきっと生きている。


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by aru-henshusha | 2008-08-25 23:17 | 本・出版
悲しいけれど、「本で読ませたいこと」と「本で読みたいこと」は、必ずしも一致しない。_c0016141_0353819.jpgこれから紹介するのは、担当編集者から献本いただいた一冊。

根まわし仕事術

正直、このテーマで一冊丸ごとというのはかなり厳しいんじゃないかと思ったのだけど、始めから終りまで何とか「根回し」だけでもたせている。

その意味では編集者の工夫、著者の力量を感じたのだが……

失礼を承知で言うけれど、この本、編集者が期待したほどの売れ行きを見せていないはずである。

なぜなら、やはりテーマがよろしくない。
「根回し」というのは、少なくとも今の時代、多くの人にとって「本で読みたいこと」ではないだろうから。


誤解をしないでほしいのだけど、僕自身は「根回し」の重要性はよくわかっているつもりだ。

たとえば、企画を通すときでも、本のタイトルを決めるときでも、僕はここぞというときは「根回し」をする。
というのも、自分の出した企画がどれだけ売れそうなものだろうが、提案したタイトルがどれだけよさげなものであろうが、会社(の上層部)というものは「常に合理的な判断をするとは限らない」からだ。

会社には会社の、各部署には各部署の、上司には上司のさまざまな思惑があり、それを未調整なまま自分の意見を押し通そうとすると、(その意見に多少の根拠があったとしても)思わぬ反発を生むことも少なくない。

だからこそ、僕は「根回し」というものを軽視しないし、ある意味、それは「本で読ませたいこと」だとも思う。


ここで問題なのは、読者が本で読みたいことと、作り手(著者や編集者)が本で読ませたいことは、必ずしも一致しないという点である。


個人的には「根回し」というのは、多くのビジネスパーソンには必要なスキルだと思うし、それをテーマにした本書にはある程度の読者を獲得してほしいとも思う。

けれど、今の読者、とくにビジネス書のメインターゲットである30前後の男女は、「根回し」といういくぶん古風な、そしてある程度手間がかかるスキルを本を読んでまで習得したいだろうか?

そう考えたとき、僕は残念ながら「ノー」と言わざるを得ない。


同業者の方ならわかるだろうけど、ここ最近のビジネス書の流行のひとつは、「いかに楽をして成果を出すか」だ(以前紹介したこの本は、その典型である)。

そういった本がいつまで支持されるのかは不明だけど、そういうテーマを好む今の読者にとって、「根回し」というテーマは、ちょっと逆張りが過ぎたのではないか?

本書は、根回しの順番やキーパーソンの見分け方など、内容としては実践的な項目が多い「使える本」だった。

それだけに、このタイミングで出されたのが悔やまれる。
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by aru-henshusha | 2008-08-24 01:20 | 本・出版
本日のシメは、ためにためて関係者に顔向けできなくなりだした、献本の山からのご紹介。
読了はしているので、あとは一冊一冊、地道に紹介していきます……

『恋空』が「浜崎あゆみ的文体」で描かれている、「ケータイ小説的。」な理由。_c0016141_1482169.jpgケータイ小説的。

この本は、以前紹介した『自分探しが止まらない』の著者、速水さんからいただきました。

*参考
「自分」というのは、探すもの? 決めるもの? 作るもの?

僕がノロノロしている間に、弾さんsmoothさんといった(とくにビジネス書業界で)著名な書評ブログでも取り上げられ、ジャンルを超えた盛り上がりを見せています。


さて、この本でとくに秀逸だと思ったのは、ケータイ小説と浜崎あゆみの歌詞の共通点についての考察。
著者はその共通点を次の3つだとしています。

1 回想的モノローグ
2 固有名詞の欠如
3 情景描写の欠如


1の回想的モノローグとは、基本的に3人称で書かれているケータイ小説のなかで、急に挿入される1人称の回想のこと。

たとえば、『恋空』には、
あの幸せだった日々は嘘じゃないそう信じていたから。
でも、もう本当にダメだね。
もう本当に本当に二人はダメになっちゃったんだね。(上巻206ページ)
という回想的モノローグがあるのだとか。

で、こういう表現・文体が、まさしく「あゆ」の歌詞に似ているんです。
実際、著者が例にあげていた、
季節の変わり目を告げる風が吹いて
君を少し遠く感じる自分におびえたよ
ふたりまだ一緒にいた頃 真剣に恋して泣いたね
今よりキズつきやすくて でもきっと輝いていた(FRIEND)
の歌詞なんて、ケータイ小説の一節だと言われても、見分けがつかない気がします。


では、「なぜケータイ小説と浜崎あゆみがつながる」のか?
その答は、本書をじっくり読んでいただき、見つけてもらったほうがよいでしょう。

本書には「ケータイ小説=浜崎あゆみ=?」という図式がなぜ成立するのかが、非常に丁寧な取材をもとに書かれています。
その答え合わせは、ぜひ本を読んで、していただきたいと思います。


ところで、ケータイ小説と「あゆの歌詞」の共通点である、「固有名詞の欠如」。

これによって、ケータイ小説の文章は総じて幼稚な感じを与えているように思うのですが、同時にこの文体的特徴には、次のようなメリットがあるようにも思えます。

それはすなわち、その本が「私たちの物語」だと感じられる作用があるということ。


たとえば、昔(ってすごい昔だな)、田中康夫氏が書いた『なんとなく、クリスタル』には(当時の)おしゃれなブランド名や、流行の遊び場の描写がふんだんにありました。
で、出版後だいぶ経ってから本を読んだ僕にとっては、主人公が女性であるからとか以前に、その世界観が自分とは遠すぎて(古すぎて)、全然、「自分たちの物語」として楽しめなかった覚えがあります。

一方で、地名も学校名も(意外にも)ブランド名もほとんど登場しないケータイ小説は、その「透明さ」ゆえに、いろいろな地域に住む、生活様式が違う女の子たちにも、「私たちの物語」として受け入れられる、それが多くの読者を生む秘密ではないのかなと。

とまあ、最後の考察はおまけみたいなもので、本格的にケータイ小説について考えたい方は、ぜひ本書をご覧ください。


*当ブログへの献本は、以下のルールに則っていただける限り、歓迎いたします。
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*なお、ケータイ小説関連本は、これこれに続き3冊目なんですが、さすがにもうお腹イッパイな感じです…
偉そうですみませんが、献本される方は、どうかご配慮を。
by aru-henshusha | 2008-08-19 02:49 | 本・出版
これは書店を回っていて気づいたことなんですが、最近の「話し方本」、やたら「秒」を争う事態になっています。

まずは、古き良き、「分」の時代の話し方本から。

最近の「話し方本」は、「1分1秒」を争う事態らしい。_c0016141_1143523.jpg

たった1分でできると思わせる話し方

レビューの酷評っぷりがすごいです…
(書名とは関係ないか)

それでは、「秒」の世界へようこそ。

最近の「話し方本」は、「1分1秒」を争う事態らしい。_c0016141_118593.jpg

30秒でつかみ・1分でウケる雑談の技術

まだ、かろうじて「分」が残っています。
最近の「話し方本」は、「1分1秒」を争う事態らしい。_c0016141_121653.jpg

たった20秒!“あッ”という間の説得術

1分で3回も説得できるの?!
最近の「話し方本」は、「1分1秒」を争う事態らしい。_c0016141_1234656.jpg

言いたいことが確実に伝わる17秒会話術

15秒では、ちと速いんでしょうか…
最近の「話し方本」は、「1分1秒」を争う事態らしい。_c0016141_1261018.jpg

どんな人とも10秒でうちとけて話せる本

本当ならば僕がほしいです。
そのうち「1秒」とか「0・5秒」なんて類書も出てくるんでしょうかねぇ。
(「コンチハ!」ぐらいしか言えないって…)

ちなみに話し方本にかぎらず、「秒」がついたタイトルは、最近のビジネス書のはやりです。

*参考

最近の出版界で流行している7つのキーワードで、「最強のタイトル」をつくってみた。 第2章

人のことは言えませんが、これもせわしない世の中の表れかもしれません。
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by aru-henshusha | 2008-08-19 01:35 | 本・出版
夏休み中も、泣くのを通り越して笑いたくなるほど仕事三昧だった、ある編集者です。
相変わらずやらねばならぬ仕事が多いのですが、ブログの更新もぼちぼちと。

今日は、仕事周辺ネタをいくつか更新します。最初は珍しく「ほぼ日」ソースで。


『人生という名の手紙』 担当編集者/フリー編集者 青木由美子(ほぼ日刊イトイ新聞 -担当編集者は知っている。)
タイトルに困ると、電車に乗る。
そこには必ず、読者がいるから。

素のままの普通の人たち。
メールを打つ人、眠っている人、酔っ払っている人。
この人たちの心に、直球で届くタイトルは? 
考えるうち、つい自分も眠ってしまう山手線。

もっと困ると、カラオケやDVD屋に行く。
古い歌謡曲の歌詞や、名作映画のタイトル。
「人肌になじんだ言葉」には必ずヒントがあるから。

飲み惚けた目に、蛍光色がまぶしい都内某所レンタル店。
つい関係ないDVD(『トラック野郎』)を借りてしまう。

――そしてタイトルは、降りてきた。
この「人肌になじんだ言葉」というフレーズ、なるほどなぁと思いました。


むろん、新しい風俗や事物を扱った本の場合、「なじみのない言葉」をタイトルにするときもあります。

しかし、たいていの本の場合、「人肌になじんだ言葉」、欲を言えば、「そのなじみが忘れかけられている言葉」がタイトルにくると、読者をハッとさせられるように思います。

ここ数年だったら、「品格」という言葉が、その最たるものではないでしょうか。

人肌になじんだ、なじみすぎた言葉ながらも、あのタイミングでタイトルになると「古新しい」気がしました。


ちなみに、この「人肌になじむ」という表現からして、十分「なじんでいる」言葉だなと思います。
青木さんは元某社のヒットメーカーだと聞いていますが、やはり一味違うものです。
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by aru-henshusha | 2008-08-19 01:09 | 本・出版
*この記事には、書籍『最後の授業』の内容に深く関係した記述が含まれます。同書をまだ読んでいない方は、その点、ご注意ください。

あなたはなぜ、編集者になったのですか?

ときどき、初対面の人から、こういう質問を受けることがある。

この質問に正確に答えるのは難しい。

なぜなら、それは一言で片付けられるほど簡単な話ではなく、自分でも数え切れないほどの理由や偶然が重なった結果だから。


けれど、そう質問した人は、たいてい単純な答を期待しているものだ。

だから、僕はこう答える。

僕の親父も、昔、編集者だったんです


僕の父親は、たしかに編集者だった。

だった、と書いた理由は二つあって、一つは彼がとっくに編集者を辞めているから。
もう一つは、彼がとっくに、この世を去ってしまったから。


ここにも何度か書いているけれど、僕が物心つかないうちに、父と母は別れた。
僕は母に引き取られ、初めて父に再会したのは、小学校高学年のときだったと思う。

彼が「編集者」という仕事をしていたことは、すでに母から聞いていた。
(実際には、当時すでに父は体を壊していて、職を辞していたと思うが)

けれど、それがどういう仕事なのか、僕にはほとんど見当がつかなかった。


「編集者」という仕事の一端を垣間見たのは、僕が高校生のときだ。

僕は当時、何の因果か、父方の祖母が主宰する同人誌に、ときおり駄文を寄せていた。

ある日、その原稿に父が赤字を入れたものが、返信されてきた。
僕のつまらない誤字脱字や、助詞の誤用を、父は赤ペンで丁寧に直してきた。


これが「校正」っていうやつか。

僕はそのとき、編集者の仕事を何となく理解した気になった。
同時に、父との間に、少しだけ「つながり」ができたことが、正直、嬉しかった。


『最後の授業』を読んで思い出した、僕の父の「最後の授業」。_c0016141_2423517.jpgこんな話を今になって書いたのは、『最後の授業』という本を最近読んで、そのことを思い出したからだ。

ガンで余命半年と宣告されたランディ・パウシュ教授が、カーネギーメロン大学の講堂で行なった「最後の授業」をまとめた本書は、同時に「父から子へのメッセージ」でもある。

『子供のころからの夢を本当に実現するために』という授業のテーマは、彼が三人の子供たちに残した、最後の贈り物だ。
彼が消えても、この授業の記録は、本や動画として永遠に残る。

皮肉ではなく、その機会が生前の彼に訪れたことは、喜ぶべきことかもしれない。
人によっては、子供たちに何を残すかじっくり考える前に、この世を去らなければいけない場合もあるのだから。


思えば、父の赤字も、僕にとっては一種の「最後の授業」であった。

その後(いや、その前も)、彼から何かを教わった覚えがない。
父がその生涯で僕に教えてくれたことは、赤字の入れ方だけである。

僕にとって、父は(たとえそのとき、もう本を作れない体になっていても)、一編集者として死んだ。

そして、あの原稿だけが残った。


今も、原稿やゲラに赤字を入れていると、ときおり父のことを考える。

色々あって、本当に色々あって、僕は彼と同じ仕事を選んだ。

彼はどんな気持ちで、普段、赤字を入れていたのだろう。
どんな気持ちで、僕の原稿に赤字を入れたのだろう。

答を知る術はもはやないけれど、僕は父と同じ仕事について、少しだけ、彼の気持ちがわかった気がする。

それだけで、僕はこの仕事を選んでよかったと思っている。


最後に、先日、以下の記事を通じて、ランディ・パウシュ教授の訃報を知った。

【訃報】ランディ・パウシュ教授、永眠。享年47歳

一読者として、そして若くして父を失った者として、心から彼のご冥福を祈る。

なお、本書についての、「より感想らしい感想」が知りたい方は、これらの記事を参照してほしい。
小飼氏がいうように、動画から見るほうがおすすめである。

「最初の講義」 - 書評 - 最後の授業【感動!】「最後の授業」ランディ・パウシュ【全米が泣いた!】最後の授業 ぼくの命があるうちに 動画編
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by aru-henshusha | 2008-07-30 02:52 | 本・出版
仕事の壁は、やっぱり仕事でしか破れない。_c0016141_1182362.jpg仕事の壁は、やっぱり仕事でしか破れない。_c0016141_1183898.jpg
コネタを一個はさんで、また献本の感想です。今回は珍しく2冊一緒に。

左:『人生を決めた15分 創造の1/10000
右:『失敗なんて気にするな!―ビジネスに効く39の言玉

2冊一緒に紹介するのは、手抜きしたいとか、眠いからという理由ではありません(実際、眠い時間帯ではあるのですが……)

これらの本は、違う版元から同時期に送られてきたのですが、実は一箇所、同じようなことを書いているところがあるんですよね。

かたや工業デザイナー、かたや中国算命学研究家と、バックボーンが全然違うはずなのに、一緒のことを言っている。

それって、大げさに言えば、万人に通じる「真理」みたいな話なのかなと思ったので、ここにあわせて取り上げます。
「壁にぶつかった時」のことだが、僕は「仕事の壁は仕事で破る」をモットーにしている。
人によっては、うまく行かない時は無理をせず、気分転換をしたり、他のことをしたりする方が良い結果を生むかもしれない。だが僕は、それよりもがむしゃらに障害に突き進んでいく方が気分がいい。問題から離れて休もうとしたりリフレッシュしようとすると、僕の場合はかえってその問題が頭にこびりついてしまい、八方ふさがりになるからだ。そんなことになるくらいだったら、泥にまみれて七転八倒し、苦しみ抜いて戦った方がよほど気が楽だ。(『人生を決めた15分 創造の1/10000』20ページ)

(休みの日にパチンコばかりしてしまうのが悩みの大工のFさんに対して)Fさんはまだ親方から一人前と認められず、与えられた作業を何となくこなしていて、仕事上の感動や手応えを味わっていないのではないですか?
現状の仕事内容が将来にどうつながっていくのかが見えず、不安定な状態にあるようにも感じられます。

仕事上の不満足は、仕事で解消する
しかありません。(『失敗なんて気にするな!―ビジネスに効く39の言玉』133ページ)
僕自身、売れない本を続けて作ったり、どうにもうまく進まない仕事を抱えているときに、「壁」を感じます。

そんなとき、気晴らしに友達と飲み明かしたり、思いっきり買い物をしたりすることもありますが、結局、一時的な気分転換にしかならないんですよね。
暗いことを言うようですが、家に帰って一人になったとたん、いつのまにかまた仕事のことを考えている。

人によりけりでしょうが、少なくとも僕の場合、仕事の壁は、目覚しい成果や、懸案事項の解消があって、初めて破ることができるものだと思っています。

もちろん、壁を破るまではしんどいですが、多くの人にとって、

「壁にぶち当たる→がんばって壁をぶち破る→また壁にぶち当たる」

を繰り返すことで成長できるものだと思うので、「成長街道の関所」的なものだととらえて、がんばればよいのではないかと。


また、このとき、壁を破ろうと思ってがむしゃらになりすぎるのも逆効果かもしれません。

僕自身は、うまくいかないときほど淡々と仕事をこなすようにしています。
うまくいかないときに一発逆転を狙うと、かえってドツボにはまったりするものですし。

(そこらへんの考え方については、『勝負に強い人がやっていること』という本にくわしく書かれていたかと思います。会社におきっぱなので引用できませんが、良書です)


最後にいただいたご本それぞれに、簡単なコメントを。

人生を決めた15分 創造の1/10000』は、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出たことのあるデザイナーの仕事術の本。
たぶんフェラーリを意識したのであろうブックデザインや、中に収められた著者直筆のスケッチの美しさが際立つ一冊です。

失敗なんて気にするな!―ビジネスに効く39の言玉』は、中国算命学研究家がビジネスパーソンの悩みをQ&A形式で答えていく形式の一冊。
著者のキャラが珍しいので、それが回答にもっと色濃く出てればよかったかなと思います。
(最近のビジネス書は、何を言うかより誰が言うかが大事になってきているので。まあ昔からそうかもしれませんが……)

*当ブログへの献本は、以下のルールに則っていただける限り、歓迎いたします。
当ブログへの「献本ルール」を、ここらでハッキリ決めようと思います。
by aru-henshusha | 2008-06-23 02:14 | 本・出版
『凶暴両親』は、それこそ、もっと「凶暴」に書くべき本だったかもしれない。_c0016141_22374915.jpg普通のネタも書きたいのですが、献本がたまってるので、そちらの感想を先に。
ここで取り上げるのは、担当編集の方からいただいた、

凶暴両親

この本の感想、正直、書くのが難しいです。

別に悪い本だとは思わないんですよ。
いわゆる「モンスターペアレント」の実像に迫るため、各種の事件や関連図書を調べ、教育関係者への取材もしているし、わりと丁寧な作り方の「良書」だと思います。

しかし、その「優等生」っぷりが、かえって本としては「弱い」とか、「まわりくどい」印象を与えてしまうような気がします。


たとえば、本書の第1章では、映画の「誰も知らない」、2006年に起きた秋田連続児童殺害事件、その他の児童虐待事件、亀田史郎の『闘育論』とその極端な教育法などについて、30ページ以上がえんえん割かれています。

けれど、これらはあくまで親のネグレクトや過保護・過干渉の例であって、「モンスターペアレント」を語る「前フリ」に過ぎないのです。
ネグレクトや過保護・過干渉であれば「ヨソの家のお話」で済ませることだってできなくはなかった。ところが、彼ら、凶暴化した保護者が、人々の暮らす地域社会においても、自らの権利を声高に主張し始めた。もはや、一部の保護者の権利意識の肥大化は「ヨソの家のお話」では済まされない状況になっているというのだ。
その最たる例として取り上げられるのが「モンスターペアレント」だ。(同書41ページ
そう、モンスターペアレントのお話は、ここからようやく始まります。

モンスターペアレントについて語る前に、保護者がさまざまな意味で「凶暴化」していることを示そう、というのは編集者と著者の考える誠実さなのでしょう。
同業者として、その誠実さには頭が下がります。

しかし、一読者として本書を読んだとき、その誠実さは、かえって、まわりくどく感じました。

作り手の意図をある程度くんでいる(つもりの)僕がそう思うなら、書店で本書を手に取った人はその何倍もそう思うのではないかと思われます。

今流行のモンスターペアレントについて知りたい、と軽い気持ちでこの本を手に取り、店頭でパラパラと立ち読みする読者からしたら、40ページ近くも「本題」に入らない本書のつくりは、あまり歓迎されないのではいでしょうか?


あくまでセールス面だけを見て言いますが、僕はこの本はもっと「凶暴」に(というか「乱暴」に)書いたほうがよかったと思います。

話を周辺から丁寧に書き起こすより、もっと本題に単刀直入に切り込み、多少粗い構成であっても、「凶暴両親」によりフォーカスして書いたほうが、読者の欲求により応えるつくりになったはず。

むろん、そういうつくりを避けたからこそこういう本になったのでしょうが、それは手軽にトレンドをおさえることが第一目的になりつつある「新書」という媒体にそぐうものだったのかどうか、疑問が残ります。

「良書」であるからこそ、つくりしだいでもっと多くの読者に読まれるのではないかと思い、こういう感想になりました。関係者の方、ご容赦を。
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by aru-henshusha | 2008-06-22 23:31 | 本・出版