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ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha
このノウハウで「恋の問題解決」も可能になる?! 話題の「ファンクショナル・アプローチ」。_c0016141_15391055.jpgこの本は担当編集者の方からいただきました。

ワンランク上の問題解決の技術《実践編》

自分自身がこれから「実践」したくなるようなスキルを教えてくれたという意味では、最近感想を書いた本の中でも一番の良書。

ただし、内容の一部を抜き出して紹介するのには適さない構成なので、ちょっと変わった紹介の仕方を試みてみます。



本書で紹介されている「ファンクショナル・アプローチ」は、「何のためにするのか?」(目的)、あるいは「それは何のためにあるのか?」(機能)という視点から、ある課題を分析し、改善点を見つけていく「問題解決」の技法です。

……って、こんなことイキナリ言われてもわからないですよね。
(僕自身、アマゾンの内容紹介を見た時点では、中身が想像できませんでした)

なので、今回はそのファンクショナル・アプローチの手法(正確には、FASTダイアグラムの作成)を応用して、「恋の問題解決」に挑戦してみました。


問題はズバリ、「好きな人への告白のポイント」。
ファンクショナル・アプローチを使うことで、以下のように問題の本質が見えてきます。

●ファンクショナル・アプローチで分析した好きな人への告白のポイント(超簡易版)

このノウハウで「恋の問題解決」も可能になる?! 話題の「ファンクショナル・アプローチ」。_c0016141_14125237.jpg
*注 まじめにやるとかなり項目数が増えてしまうのでザックリやってます。
 また、この図はMindMeisterで作成しました。便利なサイトです。


図を見てもらうとわかるように、ここでは告白の目的を「相手にOKをもらう」ことに設定。
その「ため」には何をすればいいのか、という視点で問題を分解し、告白のためにやるべきことを洗い出しています。

もっとも、これはあくまでたたき台で、一度この図(FASTダイアグラム)を作成したあと、それぞれの上下関係を見直したり、新しい項目(ファンクション)を追加したりします。

たとえば、上の図でいえば、「脈ありかどうか確かめる」の下に、「共通の知人にそれとなく探らせる」なんてファンクションを追加できるかもしれません。

まあ、これで「恋の問題解決」ができるかどうかは明言は避けますが、それよりも「本の目次づくり」への応用が相当きく手法なので、同業者や著者(候補)の方は必読かと。


最後に、先日こんな記事も書いたので、「編集者」として少し気になったことを。

・そもそも、「問題解決」自体がふつうのビジネスマンにとって敷居が高いスキルなので、さらに「ワンランク上」と名付けると、読者が狭くなる気が…
・本の構成上必要なのはわかりますが、1章がかなり長くて、ここで挫折する読者もいるかも…

まあ、担当の方にしたらそんなことはお見通しで1785円という値づけをしている気がしますが、タイトル以上の敷居の高さを、個人的には感じました。

とはいえ、中身は本当によい本なので、秋の夜長に気張って読む価値はある一冊です。
ぜひ、ご一読を!


*当ブログへの献本は、以下のルールに則っていただける限り、歓迎いたします。
当ブログへの「献本ルール」を、ここらでハッキリ決めようと思います。
by aru-henshusha | 2008-09-07 16:10 | 本・出版
昨日書いた書評(というかあくまで感想レベルだが)に、先ほど追記をした。

『あたらしい戦略の教科書』に、本当の「あたらしさ」はあるのだろうか?(追記アリ)

その追記部分とも少し関連するのだけど、「僕が書評を書くときに一番大事にしてること」を以下に書いておく。


結論から言えば、僕は書評を書く際に、

「自分がその本を読んで、そのときに感じたことを、ありのままに書く」

ことを、一番大事にしている。

そんなの当たり前のことだよ、と思う人もいるだろうけど、その当たり前が意外と難しい。


そもそも、僕がこのブログで紹介する本の大部分は、著者や編集者からの「献本」である。

他社の友人や、業界の大先輩が汗水たらして一生懸命作った本。
できることなら、どんな本であれ高い評価をしたいというのが、人情だ。

けれど、それをやってしまうと、一番苦しむのは自分である。

よくないと思った本でも無理やりほめ、ブログの読者にたいして思ってもいない感想を垂れ流し、常に献本してくれた人の顔色を気にして記事を書く。

そんな思いをするぐらいなら、「よくない本はよくない」とはっきり書くほうがいい。

幸い、そこまで酷い本にはまだ出合ってないが、いつかそういう本が送られてきたときには、誰が作った本であれ、正直な感想を書くつもりだ。


また、今の時代、新聞・雑誌はもちろんのこと、ブログであれ、ネット書店やsnsのレビューであれ、ある程度の知名度を有する本に対する書評は世の中にあふれている。

僕自身、参考として、それらの書評にざっと目を通すことはある。
けれど、他人の書評を意識しすぎると、自分の書きたいことが書けなくなる。

あの有名な書評ブロガーは自分とはまったく逆の感想を書いている、自分はいいと思った本だけどアマゾンのレビューでは酷評されている……。
そんなことを気にしだすと、いつの間にか自分の意見がそちらにすり寄ってしまいかねない。

そういうときこそ、「自分がそのときに感じたことを、ありのままに書く」ことを強く意識する。

このブログは、僕のブログである。
「僕というフィルター」をかけない書評なら、わざわざ時間をかけて載せる意味はない。


「僕というフィルター」を考えたとき、僕が編集者であることは、その大きな要素の一つだろう。

僕の書評には、本のタイトル、構成、デザイン、造本、ときには販売面についての意見も含まれる。
それは「一読者」であると同時に「一編集者」として本を読んでいるのだから、当然である。

もっとも、それがどれだけこのブログの読者に伝わっているのかは心もとない。
正直、普通の読者はそこまでタイトルのこととか気にしないかもなぁと思いつつ、この本のタイトルはいいとか悪いとか、好き勝手なことを言っている。

けれど、そういう偏りも含めて、自分の書評には「僕らしさ」を出したいのだ。

また、僕の書評を通じて「編集者的な本の読み方」を少しでも感じてもらえれば、それは多少意味のあることではないかとも思っている。


「自分がその本を読んで、そのときに感じたことを、ありのままに書く」

今後書く書評でも、僕はそのルールを守っていく。

それによって、「ある編集者」の書評はときに偏っているとか、ときに厳しすぎるという感想をもたれても構わない。

僕にとっての書評は、ある本の内容や価値を記録すると同時に、その時々の自分自身を表現する大切な機会なのだ。

みなさんがそれを望んでいるかどうかはともかく、そういう方針で書いているということをご理解いただきたい。
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by aru-henshusha | 2008-09-03 14:32 | 本・出版
『あたらしい戦略の教科書』に、本当の「あたらしさ」はあるのだろうか?(追記アリ)_c0016141_17313511.jpg当たり前のことだけど、本の評価は、人によって変わるものである。

また、同じ本でも、読む時期によって、評価が変わることもある。

もしも僕が、前作『はじめての課長の教科書』を読む前に、この本に出会っていたのなら……

僕はきっと、本書、

あたらしい戦略の教科書
(著者より出版社を通じて献本)
を高く評価したと思う。


けれど、現実は違う。

僕はすでに、『はじめての課長の教科書』を読んでしまった。
酒井穣という著者が持つ「可能性」を知ってしまった。
彼が「あたらしい」戦略の教科書を書くと聞いて、胸が躍った。

しかし、それはどうやら、僕の空騒ぎだったようだ。


本書の第1章「戦略とは何か?」で、著者は「戦略とは『旅行の計画』である」と述べ、次のようにたとえている。

「戦略とは現在地と目的地を結ぶルート」

なるほど、これはわかりやすい。しかし、そこに「あたらしさ」はあるのだろうか?


僕は「(経営)戦略」の本の良し悪しを語れるほど、類書に通じているわけではない。
そもそも、大学時代は日本文学が専攻で、経済・経営の基礎知識さえ危うい部分もある。

けれど、戦略を語るのに「現在地」と「目的地」を出すのが、定石だということぐらいはわかる。
現に、僕がこれまで仕事をしてきた経営者やコンサルタントは、同旨のことを、取材や打ち合わせで何度も語っていた。

本書に「あたらしさ」(それはもちろん、僕が求める「あたらしさ」だが)を求めていた僕としては、正直、この出だしを読んだとき、心配になった。

本書は、わかりやすいし、前作同様、きめ細かい記述には頭が下がる。

だけど、それらの特長は、内容の「あたらしさ」を保証すると言えるだろうか?


本書の核をなす考え方に「スイートスポット」という概念がある。

これは「顧客に対して、自社にしか提供できない価値」が含まれる領域、すなわち自社が守り、広げ、有効活用すべきビジネス領域のことだ。

これ自体は僕にとっては「目新しい」ものだった
(ただし、同様の概念は違った言い方で、今までに何度も紹介されているとは思う)


しかし、これは酒井氏の発明品ではない。

本書65ページのキャプション、および参考文献をチェックすればわかるように、この考え方はある雑誌からの受け売りである。
すなわち、(あえてこういう言い方をするが)借り物」だ。


本書が他の本から「借り」ている部分は他にもある。

べつに、すでにある情報を拝借して、さらに付加価値をつけてリリースするのが悪いとは言わない。
(そういう本作りは、僕自身、今まで何度もしてきた)

けれど、そうしてリミックスされて提供された情報は、はたして「あたらしい」ものだろうか?

いや、より正確に言えば、たとえそれらが「あたらしい」としても、僕がこの本に求めた「あたらしさ」は、はたしてそういうものだったのか?


本書を読み終えて改め感じたこと。

それは、僕がこの本に求めていたのは、酒井穣 という可能性あふれる著者が長年ビジネスマンとして経験したことを結晶化し、「自分の言葉でつむぎ出した、今までにない、あたらしい戦略」であったということだ。

そうした希望が一読者として妥当なものだったのかは、わからない。
実際、読者によってはこの本を「あたらしい」と評価する人もいる

最初にも書いたように、人によって本の評価は違う。
この本に書かれているすべての記述に、今まで見たことのないような「あたらしさ」を感じる人も少なからずいるだろう。

僕はそれらの評価を否定する気はない。
けれど、自分が現時点で極めて厳正に下した評価を、他者の評価にすり寄せる必要性も感じない。


最後に、この本のタイトルが、もしも『はじめての戦略の教科書』や(出版社的にはナシだろうけど)『よくわかる戦略の教科書』だったら、僕はこんなことをネチネチと書かなかったはずだ。

それほどまでに、僕はこの本に「あたらしさ」を求め、また、本書の著者ならそれが書けるはずだと期待した。

その意味では、この本において、「僕という顧客」と「著者が提供できる(というか、したい)価値」に大きなズレがあったのだろう。

他の多くの読者にとって、この本が紛れもない「スイートスポット」であることを願う。


●大事な追記
この記事を書いたあとに、本書の担当編集者の方とメールをやりとりする機会をいただきました。
メールには、彼がなぜこの本に「あたらしい」と銘打ったか、その確固たる理由が、担当者ならではの熱い想いとともに書かれていました。

今回、異例ではありますが、そのメールの一部を以下に引用させていただきたいと思います。
私なりの「あたらしい」というタイトルへの思いを書かせてください。

「あたらしい」というキャッチフレーズは著者の原稿に最初から付いていたものですが、個々の方法論はたしかに「新しい発明」と言えるものはないかも・・・と感じながらも、そのキャッチフレーズには私はあまり違和感を感じませんでした。

「現場主導の戦略」という視点に相当、新鮮さを感じるとともに、たぶん一生現場で働く自分にとっても勇気や働く意義みたいなものを感じさせてくれる原稿であることを誇りに感じたりもしたからだと思います。

ご存じかと思いますが、僕らの社名のディスカヴァーには「覆いを取る」という意味があります。

「ものの見方や視点の変化」こそが「新しい」明日を生み出すというような意味ですが、「思い込みの枠をはずすことこそが自分をあたらしく生まれ変わらせてくれるのだ」・・・という社名には僕自身、深く共感するところがあり、ここにいます。

そうした視点を変えてくれるあたらしさがこの本にはあったのではないかというのが担当編集の僕の思いです。(担当編集者の方からのメールより)
このメールを見てもおわかりの通り、僕が本書に求めた「あたらしさ」と、担当の方が本書に見出した「あたらしさ」は異なります。

そして、昨日自分が書いたことを若干修正することになりますが、そのあたらしさは、どちらも「本当のあたらしさ」であることに違いはないのでしょう。


この記事の冒頭にも書いたように、本の評価は人によって変わります。

僕がこのブログに日々載せている評価は、あくまで「僕というフィルターで濾過された」評価であり、通常ならば読者の方々はそれにしか触れることはありません。

もちろん、このブログの読者の中には「僕というフィルター」をある程度信頼して、あるいはその偏りをわかった上で、記事を読んでくれる人もいるのでしょう。

けれど、繰り返しになりますが、本の評価は人の数だけ存在します。
「僕というフィルター」を外せば、そこには違った評価も存在しうるのです。


そんな意味もあって、僕はあえて、この本に対する「もう一つの評価」を載せました。

一読者として「ある編集者」がくだした評価も、この本を世に送り出した「担当編集者」がくだした評価も、これからこの本を手に取る読者の方に有益であることを願います。
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by aru-henshusha | 2008-09-01 18:37 | 本・出版
『36倍売れた! 仕組み思考術』は、「今年一番もったいない一冊」である。_c0016141_23551862.jpg本書は知人の編集者を通じて、担当編集の方からいただいた一冊。
(なお、毎回、Kさんの手を煩わせるのもあれなんで、次回からは直渡しでも結構です。その場合はこちら経由でメールをいただければと思います)

それはともかく、

36倍売れた! 仕組み思考術

は、僕が今年読んだ中で「一番もったいない一冊」である。
その理由は後で詳しく書くから、その前に、少しだけ本書のウリを紹介したい。


この本に書かれているのは、一言でいえば「電話×DM」の営業術だ。

ミソは、この「電話×DM」というところで、商品を「電話だけで、あるいは電話をきっかけに売る(いわゆるテレアポ)」のではなく、「DMの力だけで売る(いわゆるセールスレター)」のとも違う。

まずは電話で見込み客を探しその後にDMを送る
、という一見「二度手間」にも思えるノウハウだけど、ページをめくるにつれ、その二段階方式がいかに理にかなっているかが明らかになる。


僕は以前、営業や販売促進の本づくりの参考に、「テレアポ」関係、「セールスレター」関係の本をわりと読んだ時期があった。

しかし、それらの本はテレアポならテレアポ、セールスレターならセールスレターだけのノウハウが書かれていて、両者を「かけ算する」という発想がなかった。

そのぶん、両方の手法のいいとこどりをしている本書は、非常に実践的な一冊である。
売り込む商品によってはこのノウハウが適用しにくい場合もあるだろうけれど、それを差し引いても十分読む価値があると思う。


さて、本題に戻る。

なぜこの本が「今年一番もったいない一冊」なのか?
それは、タイトルが悪いからである。

そもそも、いまのタイミングで、『仕組み思考術』というタイトルをつけるのは、『「仕組み」仕事術』の影響を受けたのだろう(注 後者の本は半年近く前に出たビジネス書のベストセラー)

べつに、ヒット作のタイトルを拝借するのが絶対に悪いとまでは言わない。
けれど、この本の場合、それがかえって裏目に出ている。


『仕組み思考術』は前述したように、「営業術」の本である。
だからこそ、メインタイトルに「営業を連想させる言葉」を盛り込むべきであった。

たとえば、「仕組み営業術」でも「仕組みセールス術」でも「36倍売れるしくみ」でもいい。
この本は営業にかんする本ですよ、というのをもっとアピールすべきだったのだ。


実際、このタイトルのせいで本書はしばしば「間違った売り場」に置かれている。
一例をあげれば、新宿の某大書店で、この本は『頭がよくなる思考術』などと一緒に「考え方」の棚に置かれていた。

それは、著者や編集者が考えていた、この本の置かれ方とは異なるだろう。
しかし、そういう状態をつくったのは、間違いなくこの本の作り手(とくに編集者だと察する)なのだ。

カバーにあれだけデカデカと「思考術」と書かれていれば、忙しい書店員さんは、条件反射でこの本を「考え方」のコーナーに置くに決まっている。
そういうケースが多ければ多いほど、この本はみすみす販売機会を逃している。


本のタイトルには、人目を引くという役割も当然ある。

しかし、ビジネス書に限って言うなら、やはり「その本の中身がすぐにわかる」というのも重要な役目である。

『仕組み思考術』というタイトルは、自ら本の中身をわかりにくく、あるいは誤って伝えている。

これがよりストレートなタイトルであれば、36倍とまでは言わないけれど、3倍~4倍、売れ行きは変わったのではないだろうか?


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by aru-henshusha | 2008-09-01 00:50 | 本・出版
『実録!! コンビニバイト日誌』は、オモシロお客の玉手箱や~_c0016141_23152690.jpg担当編集の方から頂いたこの本。

実録!! コンビニバイト日誌

大学時代にコンビニバイトをやっていた僕としては、当時を思い出しながら楽しく読めました。

なかでも、一番なつかしかったのは、「面白いお客さん」たちのエピソード。

コンビニというのは、常連さんも含めて毎日いろんな人が来店するので、「オモシロお客の玉手箱(いまさら彦麻呂風)状態なのです。


●コンビニに来るオモシロお客の一例*すべて本書から引用
・店のお酒を購入前に呑んでしまったおじさん(多少アル中ぎみ)
・店でカップめんにお湯を入れたはいいが、粉末スープを入れ忘れて出て行ったお客さん
・毎朝「イカの塩辛」を買いに来る子供
・「トイレ借ります」ではなく「オシッコ借ります」と言うおじさん(それって借りれないんじゃ…)
・「あんぱん下さい」と言うつもりが、「あんぱんまん下さい」と言ってしまったおばさん
・メントスを1個だけとっていた万引き犯(し、試食?)
・母親らしき人と来てエロ本を買うおじさん(しかも母親はなぜか笑顔)


こんなオモシロお客さんの生態がタップリ読めて、800円でお釣りがくるという定価も、まさに「コンビニエンス」な一冊。

マンガを文章で紹介されたって伝わんないよ~という方は、まずは下のリンクから立ち読みしていただけるといいかと。

コミックエッセイ劇場|立ち読み|『実録!! コンビニバイト日誌』
by aru-henshusha | 2008-08-31 23:41 | マンガ・アニメ
「普通の球児」である前に、彼らは「普通の高校生」だ。_c0016141_2311377.jpgまず献本いただいた著者にお詫びもかねて。

本来、夏の甲子園が終わる前に紹介予定だったこの一冊。感想が遅れに遅れて申し訳ない。

だけど、この本ならばいつ読まれても、その価値が損なわれることはないと断言できる。

ひゃくはち

は、他のどの作品にも似ていない、すばらしい野球小説だ。


この小説には、三つの裏切りがある。


一つめは、主人公が補欠であること。

経験者とはいえ一般入試で神奈川の強豪校の野球部に入った主人公は、最初は練習にもついていけず、試合ではエラーもするし、サインも間違える。
センバツ甲子園前のメンバー発表では、他のエリート部員と違って当落線上にいる。

平凡な主人公がさまざまな苦難を乗り越え驚異的な成長を遂げる、という「奇跡」はこの本では起こらない。


二つめは、野球部員が「普通」の高校生であること。

タバコは吸うし酒も飲む。たまの休日には合コンもする。セックスもする。

高校球児がそんなことを、と眉をひそめる人もいるかもしれない。
でも、どれか一つぐらいは、僕らはみな高校生のときに体験したことではないか。

押し付けられた「普通」ではなく、等身大の「普通」の高校生活が、この本の中にはある。


三つめは、彼らの夏が、予想もつかない形で終わること。

ネタバレになるので、詳細はここには書かない。

けれど、主人公にも、他の部員にも、そして僕ら読者にとっても思いもよらない形で、彼らの夏は終わる。
その終わりがもたらす「痛み」は、コールド負けの比ではない。


もしも、「普通の球児」の小説を期待した読者には、これらの裏切りはたえがたいものかもしれない。

この本で描かれる球児たちは、まさに『ひゃくはち』にも余るような煩悩を胸に、野球と野球以外の高校生活を送っている。
そこには、口当たりのいい爽やかさも感動もない。

だけど、だからこそ、本書は「普通の高校生」の姿を生き生きと描いた、青春小説の傑作だと僕は思う。


甲子園のグラウンドでは大人びて見える彼らだって、高校球児である前に、普通の高校生だ。
僕らがときにはハメを外し、ときにはかっこ悪く過ごしてきた高校時代を、彼らもきっと生きている。


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by aru-henshusha | 2008-08-25 23:17 | 本・出版
悲しいけれど、「本で読ませたいこと」と「本で読みたいこと」は、必ずしも一致しない。_c0016141_0353819.jpgこれから紹介するのは、担当編集者から献本いただいた一冊。

根まわし仕事術

正直、このテーマで一冊丸ごとというのはかなり厳しいんじゃないかと思ったのだけど、始めから終りまで何とか「根回し」だけでもたせている。

その意味では編集者の工夫、著者の力量を感じたのだが……

失礼を承知で言うけれど、この本、編集者が期待したほどの売れ行きを見せていないはずである。

なぜなら、やはりテーマがよろしくない。
「根回し」というのは、少なくとも今の時代、多くの人にとって「本で読みたいこと」ではないだろうから。


誤解をしないでほしいのだけど、僕自身は「根回し」の重要性はよくわかっているつもりだ。

たとえば、企画を通すときでも、本のタイトルを決めるときでも、僕はここぞというときは「根回し」をする。
というのも、自分の出した企画がどれだけ売れそうなものだろうが、提案したタイトルがどれだけよさげなものであろうが、会社(の上層部)というものは「常に合理的な判断をするとは限らない」からだ。

会社には会社の、各部署には各部署の、上司には上司のさまざまな思惑があり、それを未調整なまま自分の意見を押し通そうとすると、(その意見に多少の根拠があったとしても)思わぬ反発を生むことも少なくない。

だからこそ、僕は「根回し」というものを軽視しないし、ある意味、それは「本で読ませたいこと」だとも思う。


ここで問題なのは、読者が本で読みたいことと、作り手(著者や編集者)が本で読ませたいことは、必ずしも一致しないという点である。


個人的には「根回し」というのは、多くのビジネスパーソンには必要なスキルだと思うし、それをテーマにした本書にはある程度の読者を獲得してほしいとも思う。

けれど、今の読者、とくにビジネス書のメインターゲットである30前後の男女は、「根回し」といういくぶん古風な、そしてある程度手間がかかるスキルを本を読んでまで習得したいだろうか?

そう考えたとき、僕は残念ながら「ノー」と言わざるを得ない。


同業者の方ならわかるだろうけど、ここ最近のビジネス書の流行のひとつは、「いかに楽をして成果を出すか」だ(以前紹介したこの本は、その典型である)。

そういった本がいつまで支持されるのかは不明だけど、そういうテーマを好む今の読者にとって、「根回し」というテーマは、ちょっと逆張りが過ぎたのではないか?

本書は、根回しの順番やキーパーソンの見分け方など、内容としては実践的な項目が多い「使える本」だった。

それだけに、このタイミングで出されたのが悔やまれる。
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by aru-henshusha | 2008-08-24 01:20 | 本・出版
本日のシメは、ためにためて関係者に顔向けできなくなりだした、献本の山からのご紹介。
読了はしているので、あとは一冊一冊、地道に紹介していきます……

『恋空』が「浜崎あゆみ的文体」で描かれている、「ケータイ小説的。」な理由。_c0016141_1482169.jpgケータイ小説的。

この本は、以前紹介した『自分探しが止まらない』の著者、速水さんからいただきました。

*参考
「自分」というのは、探すもの? 決めるもの? 作るもの?

僕がノロノロしている間に、弾さんsmoothさんといった(とくにビジネス書業界で)著名な書評ブログでも取り上げられ、ジャンルを超えた盛り上がりを見せています。


さて、この本でとくに秀逸だと思ったのは、ケータイ小説と浜崎あゆみの歌詞の共通点についての考察。
著者はその共通点を次の3つだとしています。

1 回想的モノローグ
2 固有名詞の欠如
3 情景描写の欠如


1の回想的モノローグとは、基本的に3人称で書かれているケータイ小説のなかで、急に挿入される1人称の回想のこと。

たとえば、『恋空』には、
あの幸せだった日々は嘘じゃないそう信じていたから。
でも、もう本当にダメだね。
もう本当に本当に二人はダメになっちゃったんだね。(上巻206ページ)
という回想的モノローグがあるのだとか。

で、こういう表現・文体が、まさしく「あゆ」の歌詞に似ているんです。
実際、著者が例にあげていた、
季節の変わり目を告げる風が吹いて
君を少し遠く感じる自分におびえたよ
ふたりまだ一緒にいた頃 真剣に恋して泣いたね
今よりキズつきやすくて でもきっと輝いていた(FRIEND)
の歌詞なんて、ケータイ小説の一節だと言われても、見分けがつかない気がします。


では、「なぜケータイ小説と浜崎あゆみがつながる」のか?
その答は、本書をじっくり読んでいただき、見つけてもらったほうがよいでしょう。

本書には「ケータイ小説=浜崎あゆみ=?」という図式がなぜ成立するのかが、非常に丁寧な取材をもとに書かれています。
その答え合わせは、ぜひ本を読んで、していただきたいと思います。


ところで、ケータイ小説と「あゆの歌詞」の共通点である、「固有名詞の欠如」。

これによって、ケータイ小説の文章は総じて幼稚な感じを与えているように思うのですが、同時にこの文体的特徴には、次のようなメリットがあるようにも思えます。

それはすなわち、その本が「私たちの物語」だと感じられる作用があるということ。


たとえば、昔(ってすごい昔だな)、田中康夫氏が書いた『なんとなく、クリスタル』には(当時の)おしゃれなブランド名や、流行の遊び場の描写がふんだんにありました。
で、出版後だいぶ経ってから本を読んだ僕にとっては、主人公が女性であるからとか以前に、その世界観が自分とは遠すぎて(古すぎて)、全然、「自分たちの物語」として楽しめなかった覚えがあります。

一方で、地名も学校名も(意外にも)ブランド名もほとんど登場しないケータイ小説は、その「透明さ」ゆえに、いろいろな地域に住む、生活様式が違う女の子たちにも、「私たちの物語」として受け入れられる、それが多くの読者を生む秘密ではないのかなと。

とまあ、最後の考察はおまけみたいなもので、本格的にケータイ小説について考えたい方は、ぜひ本書をご覧ください。


*当ブログへの献本は、以下のルールに則っていただける限り、歓迎いたします。
当ブログへの「献本ルール」を、ここらでハッキリ決めようと思います。


*なお、ケータイ小説関連本は、これこれに続き3冊目なんですが、さすがにもうお腹イッパイな感じです…
偉そうですみませんが、献本される方は、どうかご配慮を。
by aru-henshusha | 2008-08-19 02:49 | 本・出版
仕事の壁は、やっぱり仕事でしか破れない。_c0016141_1182362.jpg仕事の壁は、やっぱり仕事でしか破れない。_c0016141_1183898.jpg
コネタを一個はさんで、また献本の感想です。今回は珍しく2冊一緒に。

左:『人生を決めた15分 創造の1/10000
右:『失敗なんて気にするな!―ビジネスに効く39の言玉

2冊一緒に紹介するのは、手抜きしたいとか、眠いからという理由ではありません(実際、眠い時間帯ではあるのですが……)

これらの本は、違う版元から同時期に送られてきたのですが、実は一箇所、同じようなことを書いているところがあるんですよね。

かたや工業デザイナー、かたや中国算命学研究家と、バックボーンが全然違うはずなのに、一緒のことを言っている。

それって、大げさに言えば、万人に通じる「真理」みたいな話なのかなと思ったので、ここにあわせて取り上げます。
「壁にぶつかった時」のことだが、僕は「仕事の壁は仕事で破る」をモットーにしている。
人によっては、うまく行かない時は無理をせず、気分転換をしたり、他のことをしたりする方が良い結果を生むかもしれない。だが僕は、それよりもがむしゃらに障害に突き進んでいく方が気分がいい。問題から離れて休もうとしたりリフレッシュしようとすると、僕の場合はかえってその問題が頭にこびりついてしまい、八方ふさがりになるからだ。そんなことになるくらいだったら、泥にまみれて七転八倒し、苦しみ抜いて戦った方がよほど気が楽だ。(『人生を決めた15分 創造の1/10000』20ページ)

(休みの日にパチンコばかりしてしまうのが悩みの大工のFさんに対して)Fさんはまだ親方から一人前と認められず、与えられた作業を何となくこなしていて、仕事上の感動や手応えを味わっていないのではないですか?
現状の仕事内容が将来にどうつながっていくのかが見えず、不安定な状態にあるようにも感じられます。

仕事上の不満足は、仕事で解消する
しかありません。(『失敗なんて気にするな!―ビジネスに効く39の言玉』133ページ)
僕自身、売れない本を続けて作ったり、どうにもうまく進まない仕事を抱えているときに、「壁」を感じます。

そんなとき、気晴らしに友達と飲み明かしたり、思いっきり買い物をしたりすることもありますが、結局、一時的な気分転換にしかならないんですよね。
暗いことを言うようですが、家に帰って一人になったとたん、いつのまにかまた仕事のことを考えている。

人によりけりでしょうが、少なくとも僕の場合、仕事の壁は、目覚しい成果や、懸案事項の解消があって、初めて破ることができるものだと思っています。

もちろん、壁を破るまではしんどいですが、多くの人にとって、

「壁にぶち当たる→がんばって壁をぶち破る→また壁にぶち当たる」

を繰り返すことで成長できるものだと思うので、「成長街道の関所」的なものだととらえて、がんばればよいのではないかと。


また、このとき、壁を破ろうと思ってがむしゃらになりすぎるのも逆効果かもしれません。

僕自身は、うまくいかないときほど淡々と仕事をこなすようにしています。
うまくいかないときに一発逆転を狙うと、かえってドツボにはまったりするものですし。

(そこらへんの考え方については、『勝負に強い人がやっていること』という本にくわしく書かれていたかと思います。会社におきっぱなので引用できませんが、良書です)


最後にいただいたご本それぞれに、簡単なコメントを。

人生を決めた15分 創造の1/10000』は、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出たことのあるデザイナーの仕事術の本。
たぶんフェラーリを意識したのであろうブックデザインや、中に収められた著者直筆のスケッチの美しさが際立つ一冊です。

失敗なんて気にするな!―ビジネスに効く39の言玉』は、中国算命学研究家がビジネスパーソンの悩みをQ&A形式で答えていく形式の一冊。
著者のキャラが珍しいので、それが回答にもっと色濃く出てればよかったかなと思います。
(最近のビジネス書は、何を言うかより誰が言うかが大事になってきているので。まあ昔からそうかもしれませんが……)

*当ブログへの献本は、以下のルールに則っていただける限り、歓迎いたします。
当ブログへの「献本ルール」を、ここらでハッキリ決めようと思います。
by aru-henshusha | 2008-06-23 02:14 | 本・出版
『凶暴両親』は、それこそ、もっと「凶暴」に書くべき本だったかもしれない。_c0016141_22374915.jpg普通のネタも書きたいのですが、献本がたまってるので、そちらの感想を先に。
ここで取り上げるのは、担当編集の方からいただいた、

凶暴両親

この本の感想、正直、書くのが難しいです。

別に悪い本だとは思わないんですよ。
いわゆる「モンスターペアレント」の実像に迫るため、各種の事件や関連図書を調べ、教育関係者への取材もしているし、わりと丁寧な作り方の「良書」だと思います。

しかし、その「優等生」っぷりが、かえって本としては「弱い」とか、「まわりくどい」印象を与えてしまうような気がします。


たとえば、本書の第1章では、映画の「誰も知らない」、2006年に起きた秋田連続児童殺害事件、その他の児童虐待事件、亀田史郎の『闘育論』とその極端な教育法などについて、30ページ以上がえんえん割かれています。

けれど、これらはあくまで親のネグレクトや過保護・過干渉の例であって、「モンスターペアレント」を語る「前フリ」に過ぎないのです。
ネグレクトや過保護・過干渉であれば「ヨソの家のお話」で済ませることだってできなくはなかった。ところが、彼ら、凶暴化した保護者が、人々の暮らす地域社会においても、自らの権利を声高に主張し始めた。もはや、一部の保護者の権利意識の肥大化は「ヨソの家のお話」では済まされない状況になっているというのだ。
その最たる例として取り上げられるのが「モンスターペアレント」だ。(同書41ページ
そう、モンスターペアレントのお話は、ここからようやく始まります。

モンスターペアレントについて語る前に、保護者がさまざまな意味で「凶暴化」していることを示そう、というのは編集者と著者の考える誠実さなのでしょう。
同業者として、その誠実さには頭が下がります。

しかし、一読者として本書を読んだとき、その誠実さは、かえって、まわりくどく感じました。

作り手の意図をある程度くんでいる(つもりの)僕がそう思うなら、書店で本書を手に取った人はその何倍もそう思うのではないかと思われます。

今流行のモンスターペアレントについて知りたい、と軽い気持ちでこの本を手に取り、店頭でパラパラと立ち読みする読者からしたら、40ページ近くも「本題」に入らない本書のつくりは、あまり歓迎されないのではいでしょうか?


あくまでセールス面だけを見て言いますが、僕はこの本はもっと「凶暴」に(というか「乱暴」に)書いたほうがよかったと思います。

話を周辺から丁寧に書き起こすより、もっと本題に単刀直入に切り込み、多少粗い構成であっても、「凶暴両親」によりフォーカスして書いたほうが、読者の欲求により応えるつくりになったはず。

むろん、そういうつくりを避けたからこそこういう本になったのでしょうが、それは手軽にトレンドをおさえることが第一目的になりつつある「新書」という媒体にそぐうものだったのかどうか、疑問が残ります。

「良書」であるからこそ、つくりしだいでもっと多くの読者に読まれるのではないかと思い、こういう感想になりました。関係者の方、ご容赦を。
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by aru-henshusha | 2008-06-22 23:31 | 本・出版