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ある編集者の気になる人・事・物を記録したブログ。ときおり業界の噂とグチも。


by aru-henshusha
前回の更新からかなり間が空いてしまい、すみません。
ブログから離れていたあいだに、このネタもあちこちで取り上げられているのですが、一応。

ナツイチ ラインナップ(集英社)

上のwebパンフレットをパラパラめくって、「古典・スタンダード」というジャンルを選ぶと、ちょっとした驚きが。

というのも、今年のナツイチには、以下のような、変わった「顔」の文庫がラインナップされているんです。

・蒼井優を使った限定カバー
集英社の「ナツイチ」は、なかなか面白い「顔」をしている。_c0016141_21135089.jpg集英社の「ナツイチ」は、なかなか面白い「顔」をしている。_c0016141_2114990.jpg集英社の「ナツイチ」は、なかなか面白い「顔」をしている。_c0016141_21143238.jpg
・『DEATH NOTE』小畑健描き下ろしカバー
集英社の「ナツイチ」は、なかなか面白い「顔」をしている。_c0016141_2118769.jpg
特に後者は、集英社という版元ならではの人選ですよね。
自社の特性をうまく生かしたというか。

ちなみに、僕には「複数の版元で出てる文庫なら、基本的には新潮社のを買う」というマイルールがあるのですが(注 僕の敬愛する山口瞳氏の文庫がほとんど同社から出ているため)、吉野朔実さんがカバーを書いた夏目漱石の本にかぎり、集英社版を買っていましたねぇ。

・吉野朔実描き下ろしカバー
集英社の「ナツイチ」は、なかなか面白い「顔」をしている。_c0016141_21312462.jpg集英社の「ナツイチ」は、なかなか面白い「顔」をしている。_c0016141_21313786.jpg
『こころ』のカバーも描いてたはずなんだけど、 ナツイチが終わったら元に戻すのかしら。
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by aru-henshusha | 2007-07-03 21:34 | 本・出版
第52回(2007年5月22日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
鈴木は、出版業界では有名な「締め切り破り」、それも常習犯だ。仕上がりに納得しない限り、どんなに催促されても、鈴木は頑として原稿を納入しない。一介のフリーのデザイナーが、大手出版社を待たせるという不思議な構図を可能にしているのは、鈴木が胸に秘める一つの信念である。「どんなに経営が苦しくても、絶対に言いたくない言葉がある。それは、『仕事をください』という言葉。それを言ってしまったら、仕事に媚(こ)びが生まれるし、どこまでも相手に振り回されることになる。だから、人に頼まれるからやる、というスタイルは崩したくない。」人に頼まれ、期待されているからこそ、その期待を上回る仕事をしてやろうというモチベーションがわく。根っからの職人である鈴木の矜持(きょうじ)が、この流儀に現れている。
鈴木成一氏みたいに、締め切りを破っても、とにかく「正解」を追い求める人もプロなのだろう。

だけど、僕自身は限られた時間の中で、キッチリ仕事をやってくるタイプのデザイナー(だったり著者だったり)も、また「プロ」だと思っている。

どちらに仕事を頼みたいかは、その人の仕事観やら、所属する組織の風土も関係してくると思う。
けれど、少なくとも、締め切りを律儀に守ってる「プロ」たちが、手を抜いているわけではないことだけは明記したい(締め切りを守りつつ、こちらの期待を上回る仕事をする人だっているのである)。


ちなみに、僕が考える「アマ」とは「中途半端」な輩のことだ。

締め切り内で仕上げてくるが、あきらかに手を抜いた仕事をしてくる人間。
締め切りを破ったうえ、どう見てもそこまで考えたとはいえないものを提出する人間。

締め切りを守るなら守る、破るなら破るで、最高の仕事をしてほしい。

いや、この言葉は、自分自身にもズブズブ刺さる言葉なのだけど。
by aru-henshusha | 2007-05-25 14:06 | 本・出版
一年近く前の記事ですが、この答えは新鮮でした。

小説と戯曲の一番の違いはなんですか?(活字中毒R。)
小説と戯曲の一番の違いはなんですか? とインタビューされました。
すぐに、「はい、小説は時間を気にせず書けるので、楽です」と答えました。
戯曲は、時間との闘いです。
僕は、いつも、400字詰め原稿用紙210枚前後で、ひとつの芝居を書きます。これを、びゅんびゅんの速度で上演して約2時間です。が、1時間58分と2時間4分では、作品の印象が大幅に違うのです。
戯曲やシナリオの場合は、「ストーリーを考える」ことと「自分を考える」ことが同時に要求されます。
ところが、小説の場合は、ここまで厳密ではないはずです。400字詰めで250枚を235枚にどうしてもしなければいけない必然は、そんなに強くないと思います。
シナリオや戯曲は、「時間とのパズルゲーム」なのです。
話がちとズレるかもしれませんが、小説を映画化したものの中には、「よくもまあ、こんなにストーリーをはしょりやがって」といった、急ぎ足の作品があります。

あれはきっと、時間をあまり意識しないで書かれた小説を、時間を意識せざるをえない映画に「変換」したがための悲劇という側面もあるのでしょう。
(もちろん、そこらへんをうまくカバーした作品もたくさんあるのでしょうが)

「いれもの」と「中身」にはそれなりの関係があり、やたらとシャッフルすればいいというワケではなさそうです。
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by aru-henshusha | 2007-05-06 16:25 | 本・出版
これ、帯つきの画像があれば、もっとわかりやすいんだけどなぁ。残念。

幻冬舎の編集者には、「プライド」というものがないのだろうか?_c0016141_124821.jpg幻冬舎の編集者には、「プライド」というものがないのだろうか?_c0016141_134254.jpg
(左)風の谷のあの人と結婚する方法
出版社:ベースボール・マガジン社
(右)神はテーブルクロス
出版社:幻冬舎*ベー・マガの本の約半年後に出版

普通の人が見たら「続編か?」と思うぐらい、デザイン似せまくり(他社の本なのに)。
ていうか、そもそも同じデザイン事務所にデザイン頼んでるし。

ただ、一点気になるのが、幻冬舎の本には、たしか「カバー案:須藤元気」というクレジットがあったところ。

もしかしたら、須藤自身が前作のデザインを踏襲してくれと言ったのかもしれない。
(けれど、それを突っぱねるのも編集者の仕事だと思うのだが)

読者は大して気にしないのかもしれないけど、同業者として、カッコ悪いなぁと思う。激しく。
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by aru-henshusha | 2007-05-02 01:14 | 本・出版
びっくり装丁も!? 海外で翻訳されている日本の小説(エキサイトニュース)

この記事で紹介されていた中で、いちばん目を引いたのが三島の『仮面の告白』を翻訳した本の、この表紙。

三島由紀夫の翻訳本のカバーが、かなり熱いぜ!_c0016141_1401914.jpg
Confessions of a Mask (Peter Owen Modern Classics)

う~ん、熱い。

他の本もこんなカバーなのか気になったので、ちょっと調べてみました。
以下、同じような傾向のカバーのものだけピックアップ。
(なお、英語が不得意なので、あえて何の翻訳かは書きません……)


三島由紀夫の翻訳本のカバーが、かなり熱いぜ!_c0016141_1415329.jpg
Patriotism

三島由紀夫の翻訳本のカバーが、かなり熱いぜ!_c0016141_14125469.jpg
Sun & Steel (Japan's Modern Writers)

(参考)他者が書いた三島の伝記とか評論?

三島由紀夫の翻訳本のカバーが、かなり熱いぜ!_c0016141_14205687.jpg
Deadly Dialectics: Sex, Violence, and Nihilism in the World of Yukio Mishima

三島由紀夫の翻訳本のカバーが、かなり熱いぜ!_c0016141_1422079.jpg
The Life and Death of Yukio Mishima


もちろん、もっと普通のカバーの本もありますので、ご心配なく。

三島由紀夫の翻訳本のカバーが、かなり熱いぜ!_c0016141_14283716.jpg
Spring Snow (The Sea of Fertility)
*これは僕でもわかります。『春の雪』の翻訳ですね
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by aru-henshusha | 2007-04-23 14:30 | 本・出版
予備知識なしでスラスラと読めた人、尊敬します。

漢字が気になる春なのよ(毎日が発見 編集部日記)
さて、今日は漢字のお話です。
書家の尾崎洋子先生に面白い文字を教えていただきました。

   遠仁者疎道
   富久者有智

これで「おにはそと ふくはうち」と読むのだそうです。
意味をとれば、「仁に遠き者は道に疎し 富に久しきものは智有り」となります。
漢字って、面白いもんですね。
この言葉で検索をかけたら、これをモチーフにした富岡鉄斎の書を見つけました。

書のデザイン 書の名筆Ⅲ [書道](書を楽しむ)

漢字って、面白くて、なかなか楽しいです。
by aru-henshusha | 2007-02-04 23:21 | 名言・言葉
【図工】 美しさを捉える(MORI LOG ACADEMY)
(引用者補足:絵を描くには)2つの手法があるようだ。それは、「美しい絵を描きたい」という動機によって描かれたものと、「美しいものを描きたい」という動機によって描かれたものだ。
僕の場合は、明らかに後者である。美しい絵を描こうとは思わない。絵を描くことが好きなのではない。そうではなく、まず美しいものがある。それがさきに存在する。そして、その美を捉えたいと思う。これはたぶん、その美しさを自分のものにしたい、という欲求と似ているだろう。そこで、その絵を描いて、なんとかその美しさを留めようとする。そうして出来上がった絵は、自分が見た美を100%は備えていない。しかし、それを描いたことで美が自分の中に残る。
(中略)
一方では、美しい絵を描こう、という動機があるようだ。芸術の動機として正当なものだと思われる。そして、その美しさをいかに描くか、という方向から、周囲に目を向けていく。絵になるものを探すことになる。この方向性も、僕は否定するものではない。
しかし、歌をうたいなさい、絵を描きなさい、作文をしなさい、というように、さきに「手法」を押しつけられるのが、学校の教科であるために、多くの子供たちは、うたうものを探し、絵になるものを探し、作文に書けるものを探すだろう。うまくそれが見つかれば良いけれど、時間も制限されているので、手近なもの、すなわち、歌いやすいもの、描きやすいもの、書きやすいものが選ばれる。こういった方向性は本来ではない、あるいは、この方向性には合わない才能の子供がいる、と僕は思うのである。
長々と引用してしまいましたが、これと同じようなことが、もしかすると「文章」にも言えるのではないかと思いました。


小説でもエッセイでも、あるいはノンフィクションでも論文でもいいのですが、本を読んでいると、「これは美しい」と思える文章に出合うことがあります。

でも、その美しさは大別すると2つあり、1つは「美しいものを書いた」文章、もう1つは「美しく書かれた」文章だと僕は思います。
そして、後者の文章を、僕はそれほど好みません。

前者には、書き手が「美しいものを見た(聞いた、体験した)」という<想い>が込められているのに対して、後者には、書き手が「美しく書いてやるぞ」という<狙い>が透けて見え、その狙いが強ければ強いほど、僕はちょっと引いてしまうのです。


リンク先にあわせて「美しい」を例に出しましたが、これは「悲しい」でも「面白い」でも、同様のことが言えるかもしれません。

悲しいものを書いた文章と、悲しく書いた文章。面白いものを書いた文章と、面白く書いた文章。
両者は似ているようだけれど、決定的に違うところがあるように思います。

むろん、それらの文章を読んだとき、書き手の「狙い」どおりの反応をしてしまうこともあります。
そういう文章は、個人的な好みはどうであれ、やはり力のある文章だとは思いますが。
by aru-henshusha | 2007-02-03 18:13 | 名言・言葉
此処 彼処(ここかしこ)(ノラネコ装丁研究所)
本の装丁には2つの顔がある。
書店での顔と、家の本棚での顔だ。


ふつう、編集者がどんな装丁にするかを考えるときは、書店での顔しか考えていないことが多いように思います。
部数決定会議で「書店で目立たないのでダメ」と言われることはあっても、「読者の家の本棚に収まったときに雰囲気を壊しそうなのでダメ」と言われることはない。

でも、もしかしたら文芸書の場合は、そういう意見が出るのかもしれない。
(文芸書を手がけたことがないので、わかりません。)

もし自分が文芸書の装丁をやることになったときに、どう考えるだろうか。
有名な著者なら、「家の本棚での顔」をメインに考えると思う。
このブログの書き手、shiroさんは、普段は僕のように、ビジネス書や実用書を手がけてる編集者なのかもしれません。
だからこそ、「本は手に取らせてナンボ=書店で目立て」というダメ出しを受けるのでしょう。

僕自身は、その考えは半分賛成・半分反対です。
というのも、「目立たない顔」というのも、逆説的に目立つことがありますからね。
(とくに、ハデハデな顔の本ばかりが並ぶ、ビジネス書の新刊平台では)


ところで、見出しに書いたように、本には3つの顔があるように思います。

もちろん、2つは「書店での顔」と「家の本棚での顔」。
もう1つは「社内での顔」です。

他社の事情は詳しく知りませんが、社の上層部も交えて本のカバーを決定するような場合、たいていは社内の片隅で、(その1冊のカバーを数パターン並べて)「アアデモナイ、コウデモナイ」とやっていると思います。

でも、そこはしょせん「社内」なんですよね。
書店の中でも、家の中でもありません。

あるのはせいぜい自社本と類書数冊の社内で、「この色は目立つ」「このデザインだと埋もれる」といったところで、いざ書店に並べてみると、まったく事情が違ったりすることも。


どんなに「社内での顔」がよくても、「現場」で映えなければ意味はありません。
しかし、残念ながら、社内には「現場」から離れてしまっている編集者(というかお偉いさん)もいる。

よい装丁を生み出すには、「社内での顔」と<現場での顔>とのギャップを、お偉方に伝えるような細かい作業も必要なんだろうなぁと思います。

いや、むろん、各社の社風もあるけれども。
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by aru-henshusha | 2007-01-06 02:19 | 本・出版
「家政婦は見た!」のくだらなさも捨てがたい……。リンク先必見。

忘年会で大ウケ?福沢諭吉「レインボー万」の作り方(FujiSankei Business i.)

作者のHPには、ほかにも「顔モノ」があるので、のぞいてみてください。

バイキング!バイキンくん!? ほか
笑得太子
by aru-henshusha | 2006-12-25 13:41 | おカネ・経済
これ、そのままTシャツにプリントしてもいけるような。

若者ターゲットのAIDSキャンペーンポスター(Ad Innovator)

それにしても、かなりの「頑張り屋」さんですね、この男性は。
by aru-henshusha | 2006-11-16 13:20 | 芸術